、どうしても首を切られて歩いてみせなければ済まなかつた特殊な環境といふものは、変なものだ。
首を切られた話には、落語に、かういふのがある。
或晩男が夜道を歩いてゐると、辻斬に合つて首を切られた。ところが辻斬の先生よほどの達人とみえて、男の方はチャリンといふ鍔音をきいたが、首を切られた感じがないし、首も元通り身体の上に乗つかつてゐる。ザマ見やがれ、サムライなんて口程もない奴だ、と男は道を急ぐうち行手が火事になり、混雑の中へくると首が切られてゐるのに気がついて、オットぶつからないでくれ、首が落ちるから、と首を押へて歩いてゐたが、我慢出来なくなり、首を両手で提灯のやうに持ち上げて、オーイ、危い、ドイタ/\と走りだした、といふ話がある。
どちらの話も「武士」といふ生活がなければ生れる筈のない話で、手練《てだれ》の達人に会ふと首をチョン切られても、切られた気がしないとか元通り首が乗つかつて息をしたり喋つてゐるなどゝいふ痛快な思ひつきが、僕は無類の骨董を見るやうに大好きだ。町人文学と一口に言ふけれども、武士があつての町人文学で、町人だけ切り放された生活などゝいふものはない。町人文学には武士の
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング