してゐるのである。つい近年まで「都甲太兵衛」と勘違ひしてゐた。先日鴎外の本を探してみたが、どうしても、この話が出てこない。案外、露伴とか、或ひは全然思ひもよらぬ別の人の小説であつたかも知れぬ。
 僕がどうしてこの話をハッキリ覚えてゐるかと言ふと、中学時代からの親友で後に発狂して廃人になつた辰雄といふ友達がゐて、僕が或日別の友達と口論して真冬のプールを二百|米《メートル》泳げるかどうかといふので、僕は泳いでみせると云つて大いに威張つた。泳がずに済んだけれども、これを聞いてゐた辰雄が、この小説を読んでごらん、と言つて、僕に読ませた小説なのである。中学時代の話だ。だから却々《なかなか》忘れられない小説なのだ。
 昔の武士は辛いものだと思つた。冬のプールを泳ぐぐらゐは意地を張るけれども、首を切られても歩いてみせるなどと、いくら僕が馬鹿でも、そんな意地は張らぬ。尤も、首が落ちてからでも二足ぐらゐ歩けるだらう、といふぐらゐのことは言ひ張るかも知れぬが、そこからイキナリ、ぢやお前の首を切るから歩いてみろ、と言ふのは話が無茶だ。冗談言ふな、と言つて、笑つて話は済む筈だけれども、笑つて済ます訳には行かず
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