らかになるだらうから、と無理に持たされた。
 書きかけの長篇ができ次第、竹村書房から出版することになつてゐたので、京都行きを伝へるために電話をかけたが、不在であつた。その晩は尾崎士郎の家へ一泊し、翌日、竹村書房の大江もそこへ来てくれて、送別の宴をはらうといふわけで、尾崎さん夫妻が、大江と僕を両国橋の袂の猪を食はせる家へ案内してくれた。自動車が東京駅の前を走る時、警戒の憲兵が物々しかつた。君が京都から帰る頃は、この辺の景色も全然変つてゐるだらう、と、尾崎士郎が感慨をこめて言つたが、昭和十二年早春。宇垣内閣流産のさなかであつた。
 僕が猪を食つたのは、この時が始めてゞあつた。尾崎士郎も二度目で、彼は二三日前に始めて食つて、味が忘れかねて案内してくれたのである。少し臭味があるが、特に気にかゝる程ではない。驚くほどアッサリしてゐて、いくら食つてももたれることがない、といふ註釈づきであつた。
 飾窓に大きな猪が三匹ぶらさがつてゐた。その横に猿もぶらさがつてゐたが、恨みをこめ、いかにも悲しく死にましたといふ形相で、とても食ふ気持にはなれない。猪の方は、のんびりしたものである。たヾ、まる/\とふとり
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