得ない。だから、食堂の親爺も主婦も、関さんが戻つた当座は、むつとした顔をしながら、食事のお菜に御馳走し、御飯も鱈腹たべさすのだつた。

 碁席を別にして、この家の二階は二間あつた。僕がその一室へ越して間もなく、いつからだか確かな記憶はないのだが、ノンビリさんと称ばれる若者が他の一室へやつてきた。主婦の姉の三男だかで、和歌山の人、二十六歳の洋服の職人だつた。
 僕が名無しの先生で通るやうに、この男もノンビリさんで通用して、僕は姓名を全然知らない。東京で洋服の修業をしたが、病気で帰郷し、一年ぐらゐブラ/\し、まだ本復はしてゐなかつたが、母親と※[#丸十、331−10]の主婦が手紙で打合せ、京都で勤め口を探すために、ていよく故郷を追ひ出されたのだ。
 ノンビリさんと称ばれるけれども、凡そノンビリしてゐやしない。いつもオド/\し、喋りだすと口角に泡をため、顔に汗ばむのであつた。坐職のせゐか、両足が極度に細く、ガニ股で、居ても立つても歩いても、常に当惑してゐるといふ様子であつた。生れて以来、人に好かれたことがなく、常に厄介者に扱はれて育ち上つた様子でもあつた。
 二人の姉妹が手紙の上でどういふ相談をしたのであらうか。いはゞ、※[#丸十、331−16]の主婦ですら、一杯食はされたといふ感じであつた。つまり、就職が定まり次第、本人が下宿代を支払ふのは分りきつた話であるが、それまでは生家の方から口前を入れるからといふ約束であつたに相違ない。ところが、当の本人が布団と一緒に送られてきて、それから後は梨の礫、ついぞ一文の送金もない。三ヶ月たち、四ヶ月たち、就職口もないのであつた。
 尤も、途中に、三週間ぐらゐだけ、就職したことがあつた。忽ち、追ひ出されて来たのである。この追ひ出され方が、又、奇想天外、ほかの誰でもとても斯うは出来ないのである。その店に職人の仲間が五人ゐたが、中に一人の腕きゝがゐて、仕事の腕がいゝばかりでなく、倉庫から店の服地を持出して売飛ばし酒色に代へるに妙を得てゐた。夜業が終ると、職人一同が揃つて出掛けて一杯やつたり何かするが、半分ぐらゐは例の腕きゝが支払ひ、あとの所は代り番こぐらゐに奢り合ふ。ノンビリさんだけは、支払つたことがないのである。わしが払はふ思ふとるうちに誰かしらん払ふてしまふさかいに、とか、わしはつきあひに馴れんさかいに、どないして払ふていゝのやら分らへ
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