ん等と言訳してゐるのであつたが、大体、金の有る筈のない関さんを自分の方から誘ひだして喫茶店で一杯のコーヒーをのみながら、必ず関さんに払はせてくる男であつた。
 僕が散歩にでると、黙つて後からついてくる。三四丁も行つたころ、先生、と始めて呼びかけて肩を並べ、それからは金輪際離れない。稲荷の山から東福寺へぬけ三十三間堂を通り宮川町から四条通り新京極へ現れてもまだ、離れない。こゝで僕は失敬するよ、と言つても、でも、先生、邪魔しいへんさかい、と言つて、僕が呑み屋へ這入れば自分も這入つてくるのであつた。自分は何も注文せず、僕の隣に坐つてゐる。仕方がないから何かあつらへてやると、先生、ほつといとくれやす、うち、欲しうないよつてに、と厭々ながら恩にきせて食べるのだつた。
 先生、おきゝしたいことがおますのやけど、と、有るのやら無いのやら分らぬやうな細い眼をチラ/\させて、なア、先生、女の子の手え握る瞬間とらえるには、どないコツがおますやろか。手え握りたうて仕方ないのやけど、うち、臆病やさかい、心臓がドキンドキンいふばかりで、どむならん。……かういふことを言ひだすのだ。事おとなしく言葉で説いてどうなるといふ相手ではなかつた。僕は激怒し、野良犬を追ひだすやうに追ひだしてしまふ。どうして僕が怒つたか、勿論、彼には分らないのだ。
 同僚達に愛される筈はなかつた。忽ちのうちに厭がられ、彼等だけの生活内で可能なあらゆる厭がらせを受けたのである。食事のオカズまでまきあげられて、仕方なしに、毎日、お茶で飯だけすゝりこむ。遂に、堪りかねて主人の所へ報告に行つた。受けた侮辱の数々を述べ立て、例の腕きゝの職人が倉庫の服地をチョロまかして酒色に費してゐることを密告した。ところが、その時までフム/\ときいてゐた主人が、この密告をきくに及んで、突然、馬鹿野郎! と一喝したといふのである。それぐらゐのことは、先刻、こちらが知つてゐる。それだけの腕があるから、やらせておくのだ。貴様はどうだ。たつた今、クビにするから出て行つてくれ。友達のつきあひも出来ない職人は店の邪魔だ。――かうして、叩き出されて来たのである。彼はビックリ顔色を変へ、布団や荷物を持ちだす手段も浮かばず一目散に飛びだして、まつさをな顔をして食堂へ三週間ぶりに戻つてきたのは、深夜の三時頃であつた。流石に彼も、公園のベンチに腰を下して、途方に暮れたと
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