おけ」
「ヘエ」
 才蔵は手帳をさいて地図をかいた。。
「よかろう。話がきまって、結構だ。熊蔵、契約書の用意をしろ。それから手金のことは、昨日才蔵に伝えた通りだが、残金は毎月四百五十万円ずつ、四ヵ月間で支払ってもらう」
「それはムリですよ。ねえ」
 と、半平が口をひらいた。
「契約書なんて、いけませんよ。ボクらレッキとした商事会社ですけど、仕事の性質上、ボクらの商法は結局ヤミ取引きでしょう。ボクらはヤミを一つの信用として扱っていますよ。ボクらにとっては合法的なことは罪悪なんです。合法的なことは、我々の世代に於ては、卑屈で、又、卑怯者のやることですね。ボクらは合法的な卑屈さを排して、相互の人格を尊重し合うところから出発しているのです。アプレゲールなんですよ。わかるでしょう」
「止せよ。お前の屁理窟はキリがなくッて、やりきれねえ」
 と、天草次郎はイラ/\と制した。
「契約書や手金なんか、止そう。最も明確簡単に商売をやろうよ。オレたち、それ以外の取引はしたことがないのだから現物が届いたら、その分だけの支払いをするのだね」
 長範は、はやる胸をグッと抑えて、
「ナニ、現物引換えだと。それぐらいなら、一区劃いくらで売るものか。相場なみだが、それでいゝのか」
「相場なみなら、わざ/\ここで買うまでもないことだね。六万五千石、三千万円という話だったが、六万石三千万円の割合なら、何万石一時に着いても現金で買いとるね」
「バカな。まとめて買い、手金を打つと仮定して、格安に割引してあるのが分らんか。六万石三千万円の割合なら、日本国中の製材所が買いに殺到してくるぞ」
「どうせ、こんなことだろうと思ったな。まア、食焔会の消化薬だと思えばよかろう。オレたちは約束の時間があるから、アレレ、急がないと遅れてしまう。才蔵。お前は明暗荘へ戻って正宗の出るのを待っとれ、近日中に出るように、はからってやる」
「アレッ。社長。いけねえ。いけませんよ」
 才蔵を残して三羽ガラスが自動車の方に走り去ろうとする。
「エエ。ちょッと」
 と、ニコヤカに制したのが、サルトル。
「エエ、つかぬことを伺いますが、いくらの値段で買いますか。四万石三千万円の割合はいかゞで。いけません。ハア。四万五千石三千万円。いゝ値ですな。ハア。いけませんか。五万石三千万円。これじゃア、元も子もない。ハア、これならよろしい?」
「よろしい」
 天草次郎は車中から怒り声をたゝきつけた。
「ヘエ。まいど、アリ」
 サルトルはニコヤカに見送った。

   その八 サルトルと才蔵同盟のこと

「青二才に値切り倒されて、ふざけるな。貴様ア、それでいいつもりなら、オレに顔の立つようにやってみろ。顔をつぶしやがったら、そのまゝじゃアおかねえぞ」
「ヘエ。顔でざんすか。これは、どうも、いけねえな。顔はつぶれるかも知れませんねえ」
 サルトルはクスリと大胆不敵な笑みをうかべて、まぶしそうに長範社長を見つめた。
「ショウバイはすべからく金銭の問題で、顔なんざ二ツ三ツつぶしておいた方が気楽なんだがなア。もうけりゃ、いゝじゃありませんか」
「よろし。その言葉を忘れるな。顔の立つだけ、もうけてこい」
「ヘエ。もうけてきやす」
 サルトルはニコヤカに一礼する。自信満々たる様子。不可測の才略は長範もよく心得ているから、奴めがあゝ言うからは委せておいて不安はなかろう。内々ホッと一息。
 その場には敵方の雲隠才蔵も居合わすことだから、余計なことは云わない方がよい。一同は底倉へ帰る。ひとり敵の手中に取りのこされた才蔵は、味方の奴らが恨めしく、くやしくて堪らない。
「なア、おい。ウチの社長もアンマリじゃないか。オレだけ、ひとりぽっち箱根へおいてかれちゃ、骨ばなれンなっちまわア」
 いっしょに箱根東京間トラックにゆられた仲だから、こうサルトルに訴えたが、ニコヤカに笑みをふくむだけで、とりあわない。
「チェッ。いゝ若いものが、御忠勤づらしてやがら」
 才蔵めヤキモチをやいて、ふてくされ、仕方なしに、ひとり明暗荘へ。石川組はタチバナ屋へとひきとった。
 カンシャクもちの長範は才蔵の姿の消えるまでがもどかしく、しかし親分の貫禄で、はやる胸をグッとおさえて一風呂あびてくる心労のほどは小人物にはわからない。
「サルトル。キサマ、さっき大きなことを云ったが、オレの欲しいのは材木の売ったり買ったりじゃアないぞ。売ったり買ったりぐらいなら、マーケットのアロハでもできるんだ。手金だけ、もらってこい。それがオレのビジネスだ」
「へえ。アタシはハナから材木なんぞ扱いませんので。材木の話をいたしましたのは、あの場の顔つなぎだけのことで」
 サルトルは涼しいものである。ツと立って、長範の耳に口をよせて、何事かボシャ/\/\とさゝやく。
「ふうむ。ふてえ奴だ」
「いえ」
 サルトルはニコヤカに笑みをたたえているだけである。いかなる秘計をうちあけたか、わからない。
 日の暮方、サルトルは雲隠才蔵をよびだして、
「雲さんや。主人持ちは、つらいねえ。どうだい。一旗あげたいと思わないか」
「チェッ。おだてるない。お前みたいな忠勤ヅラはアイソがつきてるんだ。今さら、つきあえるかい」
「そこが主人持ちのあさましいところだよ。オヌシもポツネンと山奥の宿へおいてけぼりで、なんとなくパッとしないな」
「胸に一物あってのことよ。忠勤ヅラは見ていられねえや」
「さあ。そこだよ。どうだい、兄弟。ここんところで、石川組と天草商事を手玉にとってみようじゃないか」
「兄弟だって云やがらア。薄気味のわるい野郎じゃないか」
「アッハッハ。ノガミの浮浪者が、こんな出会いで集団強盗をくみやがるのさ。しかし、河内山《こうちやま》もこんなものだろうよ。ところが、アタシの考えは、もっと大きい」
 サルトルは才蔵の耳に口をあてゝ、ボシャ/\/\とさゝやいた。
「どうだい。ちょッとシャレていると思わないかい。雲さんや」
「よせやい。箱根で雲さんなんて、雲助みたいで、よくねえや」
「このあとには、オマケの余興があるのだよ。正宗菊松をオトリに、マニ教をたぶらかす手がある。お金をほしがる亡者ほど、お金をせしめ易いものだな。これが金の報いだな」
「石川長範はウスノロかも知れないが、天草次郎は一筋縄じゃいかねえや」
「ハハハア」
 サルトルはアゴをなでて笑っている。
 雲隠才蔵も考えた。たしかにサルトルはたゞ者ではない。天草次郎は冷血ムザン、腹にすえかねた仕打ちをうけたのは今度に限ったことではない。ムホン気は充分そだっているけれども、敵は名だたる今様妖術使いで、残念ながら歯が立たない。つらつら打ち見たところ、サルトルは胆略そなわり、慈愛もあり、底の知れないところがある。おまけにウスノロのところもあるから、利用するだけ利用して、まんまとせしめてやるのも面白かろう。だましてやるには手ごろの勇み肌のニューフェースなのである。才蔵はこう肚をきめて、
「じゃア、それで、いってみようじゃないか。オレは退屈しているんだ」
「明日、むかえにくるぜ」
 サルトルは一万円の札束を無造作につかみだして握らせて、
「悪い病気をもらうなよ」
 と、ニコヤカに行ってしまった。
 翌朝、才蔵をむかえにきて長範の前へつれて行った。
「エ、才蔵をつれて参りやした。見かけはチンピラでざんすが、ちょッとまア愛嬌もあって、小才もきくようでござんす。目をかけていたゞきとうざんす」
 長範はゴリラの熊蔵と将棋をさしていた。
「才蔵いくつになる」
「へえ。サルトルと同じ二十五で」
「キサマ、戦争に行ってきたか」
「エ、北支に一年おりました。鉄砲は一発もうちませんが、豚のマルヤキを三度手がけましたんで」
「キサマ、コックか」
「いえ。なんでもやりますんで。主計をやっておりましたが、クツ下、カンヅメ、石ケン、タオル、これを中国人にワタシが売ります。密売じゃないんでして、ええ、軍の代表なんで。中国人相手のセリ売りにかけてはワタシの右にでる日本人はございません。へえ」
「ペラペラと喋る奴だ。キサマ、ヘソに風がぬけてるのと違うか。石川組は男の働くところだぞ。力をためしてやる。腕相撲をやるから、かかってこい」
「それはいけません。ワタシは頭で働きますんで」
「生意気云うな。人間は智勇兼備でなければならんぞ。キサマらは民主主義をはきちがえとる。平和こそ力の時代である。法隆寺を見よ。奈良の大仏を見よ。あれぞ平和の産物である。雄大にして百万の労力がこもっとる。石川組は平和のシンボルをつくることを使命とするぞ。心身ともに筋金の通らん奴は平和日本の害虫であるぞ」
「エエ、適材適所と申しまして、害虫も使いようでざんす」
 とサルトルがとりなした。
「アタシが使いこなしまして、石川組の人間に仕立てやすから、今後よろしゅうおたのみします。雲さんや。社長があゝ云って下さるのも、オヌシに目をかけて下さるからだよ。お礼を申しあげて、仕事に精をだしな」
 そこで才蔵は長範から盃をいたゞいて石川組の人間ということになった。
「ではアタシは才蔵をつれて天草商事へ行ってきやす。ちょッと自動車をお借り致しやす」
 と、二人は社長の車で東京をさして出発した。

   その九 サルトル雄弁をふるうこと

 天草商事の社長室へ通される。チンピラ重役三人組の前へすゝみでたサルトルは、まずニコヤカにモミ手をしながら、
「エエ、昨日はたいへん失礼。本日はまた、うるわしいゴキゲンで何よりでざんす。つきましては、一言お詫びを申上げなければなりませんが、実は、雲さんを無断でお借り致しました一件で。これにつきましては深い事情もありますが、おいおいと話のうちに説明を加えることに致しまして、お許しも得ず東京へ連れだしましたことを幾重にもお詫び申上げやす」
 相手がいかほど仏頂ヅラをしかめていても、常にサルトルは余念もなくニコヤカなものである。
「材木の話でざんすが、社長から話のありましたように、進駐軍向けとか、河川風水害防止愛国工事とか唄いやしてタダのようにまきあげて運びだしてやすから、昨日のお値段の半分に値切られましてもアタクシ共は結構もうかっておりやす。そちら様も大もうけは疑いなしでざんすな。しかし本日アタシが伺いました用件は材木ではございません。雲さんや。ちょッと、こっちへ出なさい」
 サルトルははにかむ花聟をおしだすように才蔵の手をとって前の方へひいてくる。
「アタシもかねて感ずるところがありまして、男子二十五歳は坂本龍馬晩年の年齢でござんす。天草さんの御先祖は十六歳の御活躍でござんす。アア一本立ちがしてみたい、とアタシも人並みに風雲録を夢みておりましたが、昨夜はからずも雲さんとジッコンに願いまして、さとるところがありましたな」
 悠々ニコヤカなものである。雲さんの肩をいたわるようにさすりながら、落ちつきはらった物腰、ほれぼれするほど人ざわりがよい。
「御案内の通り社長はマニ教に凝っとりやすので、箱根に出むいた折はアタシが代理で現場を見廻っとります。風流気はありませんが、根が酔狂の生れつきで、アタシはヒッソリカンとした森林をぶらつくのがホカホカと好ろしき心持でざんすな。とある一日、木の根ッ子をえぐった穴がくずれて何やらチラと見えるものがござんす。なんとなく掘ってみると、石油カンに黒色の泥がつめこんであるのでざんすな。六ツずつ二段重ねに、十二個のカンがござんす。アタシが華中の特務機関におりましたので、ジッと見つめるうちに正体を突きとめやしたが、ちょッと失礼さん」
 サルトルはいともインギンにモミ手をして、秘書嬢の退席をもとめた。それからツと三人の方に進みでて口に屏風をたて、
「オ・ピ・オ・ム。ア・ヘ・ン」
 片目をつぶってニッコリ笑った。
「おどろきましたな。あの時はね。アタシはていねいに土をかぶせて、木の根を掘った穴ボコもあらかた埋《うず》めて口をぬぐって来ましたが、実はな、念のため、後日他の場所に埋めかえて、この秘密はアタシひとりの胸にたゝんでござんす。調査して分りやしたが、戦時中、富士山麓にアヘン密造工
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