場があって、新兵器第何号とやら称して中国へ積みだしていたのですな」
織田光秀と白河半平がクスリと苦笑をうかべたようだが、サルトルはひるむどころか、明るい笑みにうちかがやくばかりであった。
「この胸に開運のお守りがあるんですな。春きたらば、花さかん。ジッとだきしめている気持。一カン十五キロほどと見ましたが、〆めて二百キロ足らず捨て値で売りとばしてもザッと二千万。税金がかゝらないから悪くない商売。昨夜雲さんとジッコンに願いまして、天草商事さんは聞きしにまさるヤミ商事。このへんに春のキザシが忍んでいると見ましたな。北方に高気圧がある。天気予報でござんす。雲さんを男と見こんで胸の秘密をうちあけました。石川組の材木は世を忍ぶ仮の用件、裏を申せばザッとこんなところでざんすな」
悠々一席弁じおわって笑みは輝きを増し、あたりを払う。
雲さんはションボリと浮かぬ顔。
「雲さん、雲さんて、心やすく云うない。実物を見てるワケじゃアねえんだから、サルトルを信用してるワケじゃアないけれど、富士山麓にアヘンの秘密工場があったこと、終戦のドサクサに多量のアヘンが姿を消して勝手に処分されたこと、一部分があの山林に埋められたという噂があるのはホントでさア。終戦後一年二年のあいだ、むかし工場にいたらしい人物が時々人目を忍んで捜査にきて、みんな手ブラで帰ったと女中なんかも噂しているからさ。噂だけはあるんだよ。だから実物を見せてもらえば分るだろう」
「なぜキミ見せてもらわなかったの」
「人が見たら蛙になれ。タダで見るわけには参りません」
サルトルは落ちつきはらって半平を制した。
「取りひきのギリギリ最後の時まで秘密の場所はあかされません。おわかりでしょうな。取引高が拝観料というワケですよ。ほかに論議の余地はない」
ニコヤカにして決然。リンリンと威力がこもっている。言われてみればその通り。ウカツに見せられぬ道理である。
「フウム、事実としてみれば、これはいさゝかスリルある取引きではあるね」
と半平は腕をくんで、ニヤニヤとサルトルを見つめた。常にニコヤカであること、サルトルに劣る半平ではなかった。
「これは、いさゝか、犯罪的、ギャング的ですね。リンドバーグの子供をさらって、ひきかえにお金をもってらッしゃいと言うでしょう。それと似ていますね」
「そうなりますかなア」
「そうなるんですよ。アハハ。あなたはギャングじゃないけれど、お金と物品とひきかえる手段において、同一の手口以外の方法がないワケでしょう」
「なるほど」
「いわばボクたちはサルトルさんの強迫状をうけとって、アハハ、いわばですよ。悪くとらないで下さいね。指定の日時に指定の場所へお金を持ってくワケでしょう」
「これは恐れいりましたな。では、こう致しましょう。指定の日時は天草商事さんに一任いたしやすから、お好きの時日に突如としてお越しになっては。アタシの方はアタシひとりの都合ですから、いつでも都合がつけられます。これならば御満足と存じますが」
「ハハア。なるほど。ボクの方から突如として押しかけるか」
「さよう。何百人でいらしてもよろしい。アタシは常に一人でざんす。一人でなくてはアタシの方は不都合ですからな。アタシは天草商事さんを信用致すワケではございませんが、運命を信じております。アヘンのカンとひきかえにアタシのナキガラが穴ボコへ埋められても仕方がない。かくなる上は運命でござんす。アタシひとりの生涯に春はとざされているか、風雲録は一か八かでござんすな。アタシは誰もうらみません。また必要以上の要心もいたしません」
「えらい!」
半平はパチパチ拍手を送った。
「実にえらいね。サルトルさんは。大丈夫はそれでなくてはいけませんねえ。ボクにはとても出来ないね。人を見たら泥棒と思うからね」
こう半平にひやかされてもサルトルは感じがない。あべこべに満足してニコヤカにうちうなずき、得々とモミ手をしている。
「なんでしたら、アタシの身辺に雲さんでも、ほかの方でもかまいませんが、目附の方をつけておけば御安心ですな。お好きの時日に急襲あそばす。アタシの素振りにヘンテコなところがあれば、ハハア奴め何か企んでるな、とわかる」
「益々えらい! アッパレなスポーツマンシップだなア。握手しましょう」
半平にさそわれてサルトルはいそいそと握手に応じる。
「交換の場所はどこさ」
光秀がきいた。
「現場ですな」
ニッコリうなずいてサルトルは答えた。
「うちあけて申せば、天草商事さんに買っていたゞきたいという山林の中の一地点です。これだけは教えてあげても大丈夫。ザッと六七百万坪のうちの半坪の地点にありますな。そこで問題は人目をさける方法ですが、アタシ個人の取引ですから、石川組の目をだます必要があります。しかし、石川組にさとられずに現場へ行きつくことはできません。後日に至ってアタシが皆さんを案内したということは必ず知れるに相違ない」
サルトルは難解の謎々を出題したように楽しがって一同の顔を見廻した。
「いえ、タネも仕掛も至ってカンタンでざんす。材木を買うにつき再調査に見えたとふれこめばよろしい。あの現場ではアタシが社長代理で見廻る例でざんすから、お客さんを案内するのもアタシの役目のうちでござんす。皆さんはトラックをのりつける。アヘンのカンをトラックにつんで、その上に材木を乗っけて戻れば東海道はOKですな」
「いくらなの」
光秀の声はつめたい。
「二千万」
「お前さん、正気かい。二千万の現金といえばダットサン一山だぜ。こっちから持ってくぐらいのことはオレたちワケなくやってみせるが、お前さんがそれを一人で受け取って処分がつくかい」
「それは、もう、実に、いとも、カンタンに」
と、サルトルは我が意を得たりとうれしがってモミ手をした。
「御配慮かたじけないところですが、御心配無用。ぜひとも早くそれを持たせてみてごらん下さい。ものの小一時間とたたないうちに、ちゃアんと姿が消えてしまいます。すなわち、これを他のカンにつめて地中の一点に埋めてもよろしい。秘中の秘。アッハッハア」
サルトルの哄笑は満堂を圧するものがあった。光秀も半平もさすがに声をのんでいる。すると天草次郎が小さな身体をグイとねじって、カミソリのような声をあびせた。
「箱根くんだりへ一山の金をつんで御足労な。アヘンがあるなら、持ってこい。買ってやるから。一山でも、一包みでも、持ってきたら、買ってやらア。才蔵め、ドジな取引に首を突っこみやがる。もう一っぺん、箱根へ戻れ」
「まアさ。そう云うもんじゃないですよ。じゃア、ちょッと、サルトルさん。あなた別室で待ってらッしゃい。社長は短気だからね。気持をなだめて、あなたの顔も立つように話してあげるからね」
と、半平がとりなして、サルトルを別室へひきとらせた。
その十 美女のスパイが恋の虜となること
「ともかく雲さんの話をきこうじゃありませんか。アハハ。雲さんときやがら。箱根の雲さん」
「やい。よせやい」
「怒るなよ。酒手をだすから。ともかく、雲さんの話をきいて、考えてみましょうよ。敵の話がホントなら耳よりの取引だからね。雲さんは彼氏が信用できるかい」
「そんなこと知らねえや。ホントなら耳よりの話だから持ってきたゞけじゃないか」
「しかし、ホントらしいヨリドコロがなくて持ってきたら、無思慮じゃないかい」
「ヨリドコロはさッき言ったじゃないか。アヘンがうめられていることはホントらしい噂があるのさ。サルトルは曲者だけど、とにかく、一人でやってる仕事だからな。嘘なら一人じゃやれねえや。この取引にしくじると、石川組もしくじるし、石川組のことだからアヘンもまきあげられて、イノチだって危いかも知れねえや。それを覚悟で、たった一人でやってやがる仕事だから、嘘じゃアなかろうと思われるフシがあるじゃないか」
「なるほどね」
半平は腕をくんだ。
天草商事は第三国人と大がかりな密貿易をやっていた。その本拠は小田原界隈のさる由緒ある邸宅内にあったから、地理的には甚だ便利な取引なのである。
「ホントなら話が大きいぜ。それに相手が一人だから、秘密保持の上にも、取引としてはこの上もなく安全だね。ボクが思うには、ここは、ひとつ、スパイを使ってみようよ」
「スパイたって、スパイの使いようがないじゃないか。相手が一人で、おまけにノコノコこっちへ出むいているんじゃないか」
「だからさ。だからだよ」
半平は痩せっぽちの肩をいからせて、うれしそうに笑った。
「今夜、社の寮で、サルトル氏の歓迎会をひらくんだよ。酔わせておいて泊らせて、よりぬきの美女を介抱役につけるんだよ。惚れたと見せて安心させて、秘密をさぐるんだね」
「酔わなかったら、こまるじゃないか」
「催眠薬かなんかブッこんで痺れさしちゃえばワケないよ」
「誰をスパイにつけるんだい」
「近藤ツル子」
半平は腕をくみ、グイと胸をそらして、ニコヤカに叫んだ。アッと声はださないけれども、一同の顔付が改まったが、わけても雲隠才蔵が目玉を光らせた。
近藤ツル子、マニ教の巻では正宗ツル子、半平の妹役をつとめた娘。
この社きっての楚々たる美女で、心は気高く、頭もよい。社員ひとしく心をうごかしているうちに、わけても半平と才蔵が御執心なのである。
戦後派の面々は思い患うような手間のかかったことはしない。友達の思惑に気兼ねをするようなヒネクレたところも持合わせがない。
手ッとり早く談じこんで、結婚しましょうよとか、旅行しましょうよと持ちかけたが、二人ながら落第。しかし二度三度の落第で屈するようでは戦後派の名折れなのである。不撓不屈、ヒマあるごとに口説くことを忘れたことがない。
ひとたび近藤ツル子の名がでると、半平と才蔵はにわかに不倶戴天の恨みを結ぶ間柄であった。半平がスパイの名に近藤ツル子をあげたから、驚いたのは一同、わけても才蔵である。半平の腹がよめない。奴め何事をたくらんでいるか。まさかツル子と言い交したわけではないだろう。だが待てよ。しばし箱根くんだりに島流しになっているうちに、などと黒雲のように疑念がわきたつ始末。
しかし半平はニヤリ/\と涼しい顔。
「元来スパイというものは、美しいこと、顔のよいことが条件だからね。もっともツルちゃんは楚々たる美少女だから、肉感的なマタ・ハリ的エロチシズムには欠けるけれども、優秀なる頭脳と高邁な気品でおぎなうから効果は百パーセントだね。ボクがムネを含めてスパイの心得を与えるから間違いはないよ。彼女はあれで旺盛な冒険心があるから、飛燕の如く巧妙に身をかわしながら要処々々をつかんでくれるね」
と目尻をさげて悦に入っている。
「一夜に探れなかったら、どうなるんだ」
「場合によっては、三日でも一週間でも、サルトル氏とともに箱根へやってもいいと思うよ」
「フン、そうかい。サルトル氏の毒牙にかかってもいゝわけか」
こう光秀にチクリとやられて、半平もちょッと苦しげに唇をかんだが、思い直して平然たる笑顔にかえった。
「ビジネスだよ。ボクにとっても、また、彼女にとっても。彼女がビジネスをいかに解するかの問題によって解決するね。彼女はたぶん身をまもることを知っているし、同時にビジネスを完《まっと》うすることも知っているね。なぜなら彼女はボクと同じぐらい頭脳優秀だからさ」
「チェッ。よしやがれ。オレは反対だい」
と才蔵が叫んだ。
「スパイなんてのはスレッカラシのやることだい。ツルちゃんが頭脳優秀だって、惚れたフリだの、そんなことができるもんか。商売女と違うんだ」
「できますとも。雲さんよ」
と、半平は平然たるもの。
「由来女というものは魔物なんだよ。いかに楚々たる処女といえども、生れながらにして性愛の技術を心得ているものさ。嘘と思ったら八ツぐらいの小学一年生を一週間観察してごらんなさい。男の子はてんでギゴチないけど、女は天性の社交術と自然の媚態を与えられていることが分るからさ。雲さんも恋に盲いてビジネスを忘れてはいけないね。また、恋人をいたわることは、恋人を信頼することより
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