ころ、まだ世間には名が知れないから、ほかにお客もいないようだ。
「ここは天草商事の経営かい」
と、サービス係りの婦人社員にきいてみると、いゝえ、という返事。ことごとに得体が知れないので、長範社長、内々大いに不キゲンである。
奇流閣の女中などは手の出しようがない。ゼンゼン、センスが違っている。二十から二十四五ぐらいの婦人社員が、いらッしゃいまし、どうぞお風呂へ、ハイ、タオル、ハイお浴衣と、トントン拍子のよろしいこと。別に愛嬌は見せないけれども、テキパキとその新鮮さ、まかせておけばなんの不安もない。
ところが一方、四人のチンピラの傍若無人なこと、ゼンゼン礼儀をわきまえない。各人アグラをかいて、ペコンと頭を下げて、ヤア、いらッしゃい、と言っただけ、初対面のアイサツもヌキである。
仕方がないから、長範親分、自分で見当をつけて、
「こちらが天草社長。こちらが? 織田光秀さん。そちらは? 白河半平さんだね」
「ザックバランにやりましょうよ。ハハハ。礼儀はダメなんだ。ボクらアプレゲールは祖国なみに廃墟に生れた人間ですからね。石川さん、お料理ができるまで、将棋やろうか」
「それは、いゝ」
半平はなれなれしい。将棋盤をもってくる。ところが、飛車と角の位置をアベコベに並べている。
「ハハハ。アベコベか。むつかしいもんだね」
コマを並べるのをむつかしがっている。たちまちバタバタ負けて、
「ハハ。石川さんは強いねえ」
長範親分、小学生を相手に遊んでいるのか、遊ばれているのか分らない気持で、手のつけようがない。
そこへ料理が現れる。第一がシャモの丸焼き。腹の中へシイタケ、ミツバ、ギンナンその他サザエのツボヤキのようにねじこんで炙《あぶ》ったもの。
その次が子豚の丸焼き。これには長範親分も驚きました。その次が尚いけない。ブリの丸アゲ。どんな大きなフライパンで揚げたのか知れないが、三尺ちかい大ブリを、支那料理の鯉のようにまるまる揚げ物にして、女の子が二人がかりで皿をはこんできた。
「ここの料理はマル焼き専門かね」
と長範がひやかすと、
「ハハハ。料理人がコマ切りにして配給するんじゃ食べるのが面白くないねえ。本来の姿を目で見てさ。その雄大なところを楽しんで、自分の手で切りとって食べなきゃ、つまんないよ。頭と骨とシッポが残ってくるでしょう。ここが、いゝところだね。はじめから小皿に小さく配給されたんじゃア、孤立して貧寒だねえ。丸ごと銘々で切りくずして行くところに、銘々が同じ血をわけ合っているというアタタカサが生れて盟友のチギリを感じるのだね。蒙古のジンギスカン料理は羊を丸ごと焼いちまわア。ジンギスカンはさすがに料理の精神を知っとるね。石川さんは、なんですか、小皿に配給された料理がおいしいですか」
長範親分、言葉に窮してしまう。
「サア、のみねえ」
と、仕方がないから、グイとあけて、しきりに杯をさす。
「ハイ」
と言ってカンタンにうける。うけるけれども返さない。のまないのである。飲むのは雲隠才蔵だけだ。
サービス嬢は心得たもの。杯を一山つんで待機している。返盃の代りに新しいのでお酌する。三羽ガラスの前には、のまない杯がズラリとならんでいる。
「返盃したまえ」
と長範親分がサイソクすると、無造作にお皿へ酒をぶちまけて、
「ハイ」
と返す。酒をのむとか、のめないとか、杯をさすとか、返すとか、酒席の下らぬナラワシにはゼンゼンこだわるところがない。自分の食慾のおもむくまゝに楽しめば、つきる、という悠々天地の自然さであった。
三羽ガラスは、よく食う。実に食慾をたのしんでいる。もっぱら食慾にかゝりきって、骨をシャブッて玩味し、汁をすくって舌の上をころがし、両手から肩、胸の筋肉を総動員して没入しきっている。そして、ほとんど口数がない。
最後に特大の重箱にウナギの蒲焼がワンサとつみ並べて現れる。酒のみがウンザリするような大串。これがゴハンのオカズであった。
「アア、これだ。待っていたよ」
と、半平は大よろこび。三羽ガラスは蒲焼にとびかゝるようにして、飯を食うこと。
長範親分、ことごとく勝手が違って、酒がまずいが、そこは大親分のことで、今日は商用、これが第一の眼目だ。ツキアイに軽く食事をしたためて、
「明朝八時半にここへ迎えの車をよこすから、山を見廻って、箱根で中食としようじゃないか」
「八時半じゃ、おそいな」
天草次郎はこう呟いて腕時計を見ながら、
「ボクらはたいがい七時ごろには仕事にかかる習慣で、朝ボンヤリしているほど一日が面白くなくなることはないな。旅先では、ことにそうだね。早く目がさめるからな。六時には起きて顔を洗うから、七時半前に底倉へつくだろう。自動車はボクらのがありますよ」
「それは好都合だ。オレも朝は早い。五時には起きて、冷水をあびて、それから三十分静坐して精神を統一する。これによって、一日が充実し、平静なんだな。朝寝はいかん。早朝より充実して仕事にかゝるのはビジネスの正道だ。さすがに天草君は理を心得ておる。アッパレなものだ。どんなに早くともいゝから来たまえ」
長範は内心浮かない気持である。チンピラどもに捩じふせられて一向に本領を発揮できなかった不快さが喉元につまっているが、敵の本営だから今日のところは仕方がない。明日は自分の本営だから、存分にひきずり廻してやろうと考えている。
「正宗君のことは心得とるから、諸君らの望む時に助けだしてあげる」
「あの人は好きでやってるのですから、当分ほッといた方がいゝのですよ」
と半平が答えた。
「そんなことがあるものか。半死半生だぞ。寝小便をたれ、クソもたれながして、ウワゴトをわめいて泣いとるぞ。まさしく狂死の寸前だぞ」
「いえ、あれでいゝんですよ。あれが趣味にかなっているんだなア。ほら、首ククリは小便やクソをたれて、ずいぶんムゴタラシク苦悶するけど、本当は生涯のたのしいことを一時にドッとパノラマに見て、あの時ほど幸福な瞬間はないんだってね。正宗君も今が一番幸福な時なんだねえ」
長範は呆れた。帰るみちみち、
「なア、オイ。ありゃアいったい、どういう奴らだい。今の若い者には、あんな奴らがタクサンいるのかい。イケシャア/\と、世間なみの仁義も知らない奴らじゃないか」
ゴリラもサルトルも返事がない。
「お前らも、何か、アプレゲールか。笑わせるな。アプレゲールは喉がつぶれているワケじゃアねえだろう。サルトル。なんとか返事をしたら、どうだ」
「ヘエ」
「ヘエだけか」
「マ、なんですな。一口にアプレゲールと申しましても、人間は色々でざんすな」
「当りまえだ」
「まったく、そうでざんす」
翌朝七時半、タチバナ屋の玄関先へピタリと乗りつけた自動車一台。云わずと知れた天草商事の三人組に才蔵である。才蔵が降りてタチバナ屋の玄関へ駈けこもうとすると、
「オットット。雲さん、こっち」
うしろから大きな声で呼ぶのがある。ふりむくと、路上にサルトルが手招きしている。路のかたえに車が一台、長範とゴリラもちゃんと乗りこんでいる。敵もさるもの。
長範も車を降りて現れて、
「さて、配置をどうしたらよろしいか。天草社長と織田君はオレの車へ。オレが説明の労をとる。サルトルはそっちの車へ。白河君に説明してあげる。熊蔵はそっちの助手台へ小さくちぢんどれ。キサマが前にふさがると何も見えん」配置を換えて出発する。
「目の下に見える丘陵地帯、あの全体の杉とヒノキはオレが買いつけとる。君らに売りつけてやろうというのは杉材だが、これはオレの今やっとる仕事にむかん。商業は有無相通ずるところに妙味があるから、諸君に一カク千金のチャンスを与えてやる。作業場に現場の技術家がおるから、こまかく説明してくれるが、だいたいオレが諸君に放出してやろうと思う杉材は、さっきも示したあの一帯、あれで六万から七万ちかい石数があるそうな。自動車で一周しても相当の時間を食うミチノリじゃ。あれを放出してやる」
放出とは、うまい新語があるもの。平和の時代の言葉ではない。配給という特殊時代の言葉と共棲する単語で、ヤミという言葉と同じように、いずれは平和な人々には理解できなくなる言葉である。長範のような人物に限って、こういう時代にしか生きていない言葉を用いる。
「天草クンは製材所の倅だそうだな。天草商事は製材もやっとるから知っとるだろうが、今の相場で製材所の買い値が、杉ヒノキ五六寸の小丸太が六百円というところだな。七八寸が八百、尺上で千円。いゝところだ。尺五上が秋田営林署で千五百円で出しとる。キミは秋田に製材所をもっとるから知らんことはあるまい。マル公は千円だが、誰もマル公では相手にせんよ。しかし、オレの売り値はマル公よりも、もっと、はるかに安うなっとる」
長範はいゝ気持だ。グッとそり身になって葉巻をくゆらす。
「オレが放出してやるのは目通り六七寸から一尺が主だが、尺上、尺五ぐらいまで相当数まじっとる。尺五上、二尺上となると、この山には生えとらんな。それで大体六万から七万石と見つもっとる。これに運賃をかけて、東京都内ならば指定の場所へちゃんと届けてやる。一山いくらで立木を売るわけにはいかんのだな。なぜならばじゃ。オレだから安く買いつけて、安く輸送ができる。ほかの誰がやっても、こう安くはできんが、第一、進駐軍用材の名で買いつけてガソリンを貰って、原木を他人に伐《き》りださせたとあっては、オレのコレが危いわい」
とクビをたゝいた。
「六万五千石とみて、尺以下一石八百円、これはマル公と同値じゃ。五千二百万円だろう。これを三千万円で売ってやる。その代り、これ以下にはビタ一文まけやらん。オレのやり方は万事そうだ。一言ピタリ。それだけだぞ。オレがかほどの安値で売りを急ぐのは、ワケがあるからじゃ、そこを見て、これをチャンスと知るのは利巧者。オヌシらが材木を知り、正しい商道を知っとるなら、この驚くべきチャンスがわかるはずだぞ」
作業場へつく。そこから現場の技術家が同乗して、山々を一周し、時々車を降りてこまかく説明する。作業場から下の鉄道駅まで立派な道路をきりひらいて、砂利もしき、ヌカルミにならないように充分手も加えてあるが、今やトロッコも敷設中で、八割まで出来あがっている。
「どうだ。オレの材木が安値のわけが分ったろう。このトロッコが出来あがると、今までの苦労が報われるのだ。これまでの苦闘はなみたいていではなかったぞ。男はそれを言わんものだ。ハッハ。石川組のあるところ、作業は常に活気横溢しとる」
この親分、アストラカンをかぶっている。胸をそらしてキゲンよく葉巻をくゆらす。金の握りのステッキで地面をコツコツつく。
天草次郎は時々時計を見ている。それにつりこまれるように織田光秀も腕時計をのぞく。どうやら半平まで腕の時計を気にしているようだ。
「オヌシの返事をきこうじゃないか。驚異的な安値が納得できないかな」
「マア、損はないかも知れないね」
と、天草次郎は気のない返事をした。
「オレは商売になると思うが、光秀の考えはどうだい」
「そうだなア。金庫をあずかるボクとしちゃア、どう返事をしていゝか分らないが、マア、山師とか水商売じみた取引きはやって貰わない方が安心ですね。もっともボクは材木のことは知らないから、この取引きの実際の評価はできませんがね」
「ボクも材木のことは知らないけど、相場よりも安ければ買っていゝわけだね。今後の値下りがなければね。何商品でも、そうだろうねえ。そうじゃないの」
と半平は言葉をついで、
「徳川産業だの豊臣製薬だの藤原工業なんかじゃア工場をたてたがっているんだし、ボクンちも三四ヵ所工場がほしいところだもの、さしあたり、材木のハケ口は足りないぐらいじゃないかしら。製材会社をつくってもいゝや。今のところ石川組程度の輸送能力じゃア、ボクの目の黒いうちは、滞貨はないと思いますねえ。ハッハッハ」
半平の大言壮語は真偽のほどが不得要領そのものである。
「じゃア、当分は芝浦の敷地へ材木をつんでもらうか。才蔵。芝浦の敷地の所番地と地図を書いて
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