じゃねえや。あのジイサン、神殿でネションベンたれて、魂をぬきあげられて帰ってくるに相違ないから、いたわってやんなよ」
誰ひとり才蔵の味方になってくれる者がない。才蔵をのこして、一同は意気たからかにガイセンした。
才蔵は無念でたまらない。深く恨みを結んだ。よろしい、畜生め、どいつも、こいつも、今にギョッと云わせてくれるから、と、湯につかって策戦をねった。何がさて子供の時から目から鼻へぬける男、三国志の地へ出征して、つぶさに実力をみがいてきました。魂をぬきあげられた正宗菊松をあやつって、天草商事をテンヤワンヤにしてくれようと怖しいことを考えた。
その六 怪社長の出現と天草次郎出陣のこと
正宗菊松はマニ教神殿に監禁されて、二日二晩すぎても戻って来ない。三日目に妙な使者が現れた。
「えゝ、始めてでござんす。天草商事の秘書のお方でござんすか」
見たところ二十四五、雲隠才蔵と同じ年恰好であるが、白衣の使者とちがうようだ。最新型の背広に赤ネクタイ、眉目秀麗の青年であるが、なんとなくフテブテしく尋常ならぬ凄みがある。此奴《こいつ》めタダ者にはあらずと、才蔵はヌカリなく見てとった。
「ボク雲隠才蔵ですが、で、あなたは?」
「ほかのお方は、どうなさいましたか」
「報告のため東京へ戻りまして、今はボク一人ですが、何か御用ですか」
「アタシはこういう者ですが」
と差出した名刺を見ると、石川組渉外部長、サルトル・サスケ、とある。
「石川組と仰有《おっしゃ》いますと」
「実は社長からの使いの者でざんすが、こゝに社長の名刺を持参してざんす」
これを見ると、国際愛国土木建築、石川組社長、石川|長範《ちょうはん》。ズッシリと百円札ほど重みのこもった名刺であった。こういう名刺をいたゞくと、いくらか涼味がさすけれども、心ウキウキとするものではない。
「で、御用件は?」
「そこのタチバナ屋が社長の常宿なんですが、ちょっと御足労ねがいたいので。話は社長から直々あるだろうと存じやす」
薄気味のわるい相手だが、何とかなろうという才覚には自信があるから、腹をきめると、わるびれない。サスケの後について、でかけた。とは云うものゝ、マニ教の霊力よりも石川組のメリケンの方が魂を手ッとり早く抜きとる実力があるだろうから、才蔵も内心はなはだしく安らかではなかった。
案内された部屋は、渓谷に面した特別の上等室。石川長範は秘書の江戸川熊蔵と将棋をさしていた。長範社長、四十がらみの苦味走った好男子。ところが熊蔵秘書が怖しい。これも四十がらみであるが、何百人叩き斬ったか分らないという面魂《つらだましい》である。戦争で何万人殺したって凄みはでないが、この先生は天下泰平の時代に人殺しを稼業にしたという凄みが具《そなわ》っているから怖しい。ゴリラの体格。この先生がグッと盤上へかがみこむと、将棋盤が灰皿ぐらいに小さくなってしまう。
「御足労、御苦労御苦労」
長範社長はウイスキーをグッとあけて才蔵にさし、
「実はな。オレもマニ教の信者でな。社用で箱根へくる。社用の方はサルトルや熊蔵がやってくれるから、オレはヒマを見てマニ教の神殿へとまる。魂が浄まって、しごく、よきものだぞ。今朝まで泊っておった。オレは進駐軍関係の土建業務もやっとるから、キリスト教のよいところも充分に知っとるが、やっぱし宗教はカシワデ、指圧。日本人の霊はこの手だなア。手に関係が深いぞ。だから日本人の体質には、アンマ、指圧が病気にきくのだなア。精神的にも肉体的にも、日本の伝統は手の伝統である。神道は手の霊である。日本人に適する職業は手の職である。どうだ。わかるか。これが分れば日本が分る。オレは進駐軍に神道を普及したいと思うとるが、手の霊であるということが分らんのだなア」
さすが物には驚かぬ才蔵も、この新学説にはおどろいた。バカかと思うと、そうでもない。将棋をさしながら喋っている。時々、ギロリ、ギロリ、と才蔵を見つめる。その眼光の鋭いこと。一見小柄の好男子だが、ゴリラの熊蔵と盤に対して、堂々と威勢を放っているから、さすがに土建の親分である。
ところがゴリラの熊蔵の対局態度が珍しい。彼は盤をかくすように覆いかぶさって、五分、十分、十五分、沈々として微動もせず考えこんでいるのである。
「話というのは、ほかでもないが、お前のとこの正宗常務だなア。オレが助けてやろうと思うとるが、あのままでは、一週間で狂い死んでしまうぞ。支離メツレツじゃ。今朝などは、もう、ひどい。寝小便はたれる。着物にクソをつけて歩いておる。やつれ果てゝ、二目と見られたものではないぞ。秘書たる者が温泉につかって酒をのんでる時ではないぞ」
「ヘエ。アイスミマセン」
「今朝オレが帰る時にマニ教の内務大臣から話があって、明暗荘に秘書の者がおるから伝言せよと言うのだな。百万円耳をそろえて献上すると正宗の身柄を引渡してつかわすと言うとる」
「ハ、百万円」
「ウム」
親分は言葉をきって、ウイスキーを一|呷《あお》り、ついでに、盤面に目をくばる。
「天草鉱業はどこに鉱山をもっとるか」
「エエ。常磐に炭坑三ツ。常磐では指折の優秀炭質を誇っております。七千五百から八千カロリー。八千五百ぐらいまでありますんで、一|噸《トン》いくらだったかな。一貨車いくらでもとめるのが御徳用で」
「天草製材はどこに工場を持っとるか」
「エエ。秋田でござんす。そもそもこれが、わが社社長の実家でして、社長は当年二十五歳、ボクと同年の大学生で、天草次郎とおっしゃるニューフェースで」
「オヤジが追放くったのか」
「とんでもない。当商事に於きましては、社長のほかに業務部長の織田光秀、編輯長の白河半平、重役陣の三羽ガラスがいずれも大学生でござんす。エエ。ボクも近々重役になります。戦前派は無能でいけません」
「製材所が秋田じゃア都合が悪いな。しかし新興商事会社はヤミ屋にきまっとるから、扱えないという品物があっちゃア名折れだ。実はな、オレが商用で箱根へくるのは建築用材の買いつけだ。すでに一年半にわたって用材を伐りだしとる。進駐軍関係の用材であるから、輸送も優先的、伐採が輸送に追われるほどスピーディに動いておる。運賃も人件費も格安であるから、オレの材木は安いぞ。三千万円ほど譲ってやるから、手金を持ってくるがよい。社長をつれてくるのがよいな」
親分は才蔵の返答などはトンチャクなく、
「サルトル。自動車をよべ」
「ヘエ。用意してござんす」
電光石火。四名は車中の人となって、仙石原を突ッ走り、峠を越えて、箱根の山裏の丘陵地帯へでる。杉山である。丘陵にかこまれた小さな平地へ乗りつける。ここが伐採本部で、石川組作業場という白ペンキ塗りの木杭《ぼっくい》が立っている。トラックの来往はげしく、活気が溢れている。
石川親分、現業員に敬々《うやうや》しく迎えられて、ちょっと視察していたが、作業場の主任をつれて戻ってきて、また自動車を走らせる。
「これから一周するところを天草商事へ売ってやる。よく見ておけ。目通り八九寸から一尺が多いが、尺上《しゃくかみ》、尺五上もかなりまじっておる。全部で何石《なんごく》ぐらいかな、六万か七万石、そんなところだろう。望みの期日までに、東京の指定の場所へ送りとゞけてやるぞ。どうだ。男児の生きがいを覚えるだろう。これだけの木材を扱って、バッタバッタと売りさばく快感を考えてみい。天草商事も男になるぞ」
作業場へ戻ってくると、今しも材木をつんで出ようとするトラックがある。長範社長は大手をふって呼びとめた。
「オイ、待った。二人のせてやってくれ。雲隠はこれに乗って東京へ戻れ。今明日中に社長をつれてくる。手金は二割五分の七百五十万でよろしい。商談成立のあかつきは、オレが正宗を助けてやる。タダでサービスしてやる。社長が製材所の倅《せがれ》なら木材のことは知っとるだろうが、これほど格安な取引きはないぞ。社長が来たら、山をこまかに案内してやる」
否応なし。助手台へ押しこまれてしまった。サルトルも助手台へのりこんで、
「じゃア行って来やす」
と、走りだした。
「人をよびつけて頼みもしない材木を売りつけようッてのは、邪推するねえ。サルトルさん。そうじゃないか」
才蔵は中ッ腹であるが、サルトルは常にニコヤカに笑って、悠々、まことに無口。才蔵が話しかけなければ、全然喋らない。
「商売はそんなものさ。売りがあせる時は買い手のチャンスだよ。こういう時に買い手の目が利くと大モウケができるのさ」
「だって雲をつかむような取引きじゃアないか。バカにされたとしか思われねえや」
「キミの社長が製材所の倅なら雲をつかむような取引きはしないさ。見ていたまえ。目の利く買い手にはチャンスだよ。アタシに金があればこのチャンスは逃さない」
「ひとりぎめにチャンスたって、なんにもならねえや。露天商人はみんなそんなこと言ってらア」
サルトルはニコヤカに笑みを含んでいるばかり、弁解もしない。
「キミは何の御用で東京へ行くんだい。オレを送りとゞける役目かい」
「マア、それもあるが、アタシは社長夫人を箱根へ案内する役目さ」
クソ面白くもない。悪日の連続である。正宗菊松は寝小便をたれ流し、着物にクソをつけてうろつきまわっているという。そんなものの世話まで焼かされては堪らない。これを機会に箱根と縁を切るに越したことはないから、社長室へ挨拶に行って、
「ボクは東京へ帰ろうなんて思ってやしなかったんですが、これこれしかじかの次第で、長範の命令一下サルトルとゴリラの馬鹿力にトラックへ押し上げられちゃって、おまけにサルトルが東京までニコヤカに護衛してやんだから処置ねえや。凄味のアンチャンがニコヤカに全然喋らねえんだから、薄気味悪いったら、ねえんだもの。寝ションベンじいさんだの材木なんか元々ボクに関係のないことだから、箱根へ戻るのは、もうイヤですよ。行くもんじゃねえや」
天草次郎は両の手に頭をのせ、イスにもたれて考えていたが、織田光秀に向って、
「キミは材木、いくらで買う」
「マア、三十万ですね」
天草次郎は大儀そうに苦笑して、
「オレは、タダだ。サルトル氏をつれてこい」
と雲隠才蔵に命じた。
サルトルが現れる。天草次郎、織田光秀、白河半平の三羽ガラスを才蔵が紹介する。
「ボクたちは毎月一回東京をはなれて食焔会《しょくえんかい》というものをやってるが、大いに食い、気焔をあげる会だね。疲れが直るな、明日の晩、小田原でやろうじゃないか。明日の夕方、底倉へ電話でお伝えするが、石川さんに差しつかえなかったら、遊びにでむいていたゞきたい」
「ヘエ」
サルトルは無口であるからニコヤカに笑みを浮べて、あとは相手の言葉を待っている。天草次郎ときては、必要以上は喋ったことがないし、つくり笑いもしたことがない。クルリとデスクに向って、書類をとりあげて仕事をはじめる。呼吸のそろっている三羽ガラス、調子のよい白河半平が、
「では明晩、小田原の食焔会へいらして下さい。お待ちしていますよ」
と、いとニコヤカにサルトルを送りだす。毎月一回の食焔会など、そんなものは有りゃしないが、彼らにとって、言葉というものは無を実在せしめるところにのみ真価があるのである。
「サルトルさんて、ニコヤカなアンチャンだね。ゼンゼン喋らねえなア。あれで渉外部長かねえ。ハハア、英語で喋りまくろうてんで、日本語を控えているのだねえ」
「小田原の奇流閣《きりゅうかく》へ電話をかけておけ。この四人に、婦人社員五六人。明日一時ごろ出発だ。団子山《だんごやま》に今夜のうちに料理の支度をさせておけよ」
と天草次郎が才蔵に命じる。
「いけねえ。オレも行くのかな」
「あたりまえだ」
「寝ションベンジジイは半平の係りだから、オレはもう知らねえや」
「ハッハッハ」
半平は不得要領に、しかしニコヤカに笑っただけであった。
その七 箱根に於て戦端開始のこと
石川長範はサルトルとゴリラの熊蔵、それに二号をつれて小田原の奇流閣へやってきた。こゝは由緒ある邸宅を買って旅館営業をはじめたと
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