リーとは、このことだろう。ビジネスに徹した哲人の構えがあるから、ほかのことにはアクセクしない様子である。だからパンパンが、自分のビジネスとなれば、チョイト、遊バナイ、抱きついたり、タックルしたり、そういうことも出来るのだろう。ビジネス以外のことにはアクセク気を廻さないようであった。
 白河半平も手をかして、セッセと荷造りに余念がない。三人ながら仕事に精をうちこんでいる。正宗菊松は戦争中は号令をかけ、生徒に仕事を督励したものだが、奴らは尻をたたかれても滑りだしよく動こうとはしなかったものだ。まるで別の人間が生れてきたのだろうか。
 そこへ三十二三の芸術家めいた人物が、蒼ざめた顔に毛髪をたらして、やってきた。
「フツカヨイでね」
 吐く息が苦しそうだ。フツカヨイで、目がすわっている。半平は男と握手をして、
「こちら正宗クン。こちらがカメラマンの間宮坊介《まみやぼうすけ》クン。ライカを胸に忍ばせて、これが大事の役なんだ。だけど、旅行中は、正宗クンの秘書ですから、わかったね」
 半平は年長の坊介の背中をさするように叩いた。親父が子供をあやすようにアベコベであるが、板についている。フツカヨイの坊介が女の子から水をもらってガブ/\呑んでいるうちに、半平は朱筆を握り、原稿用紙に大きな字をかきなぐる。
「当商事常務取締役正宗菊松氏につき問い合せの電話ありたる時は、当人は目下秘書三名をつれて旅行中と答えて下さい」
 正宗菊松という名前のところへ二重マルをつけた。署名して印を捺し、交換台の上へはりつけた。
「会社を一足でたら、外は敵地だと思わなきゃいけないからね。いゝかい。間宮クンは秘書だから、醤油ダルとその包みを持ちたまえ」
「フツカヨイのオレにムリだよ。秘書は箱根へついてからでタクサンだ」
「いけないよ」
 半平は冷めたく云った。イタズラ小僧のように薄笑いをうかべていたが、その言葉は刃物のように冷めたかった。正宗菊松は自分が斬られたようにゾッとして、気の毒なフツカヨイの男を見やった。すると半平の冷たい声が、今度は彼に斬りつけてきた。
「正宗クンは天草商事の重役だからね。かりにもカシャクしちゃいけないよ。旅行中はそうなんだ。坊介クンは秘書、ボクは息子、近藤クンは娘、平山クンは女秘書、いゝかい。それが仕事なんだよ。社の命令によって、そうなんだから、だからね。いゝかい。一・二・三。今からボクは正宗半平さ。じゃア、お父さん、出かけましょうよ」
 半平は自分の荷物を持つと、サッと立って歩き出した。甚しいマジメさが、彼の全身から発射した。有無を云わさぬ冷めたさ、督戦の鬼将軍の無慙な力がこもっている。人々はにわかに各々の荷物をとって歩きだした。
 正宗菊松も二足三足歩きだして深呼吸をした。不思議な威圧である。年齢の差があるどころか、まるでアベコベの立場である。
「フン。なかなか、やるな。だが、畜生」
 正宗菊松は胴ぶるいをした。
「修業、修業。負けないぞ」
 彼は心に呟いた。
「事に際して、一々が、修業のタネ。チンピラ共がおごりたかぶっているうちに、修業を重ねて、乗りこしてみせる。今に、真価を見せてやるぞ」
 修業、修業か。五十の手習いとは悲しいが、当人必死に思いこんでいるのだから、悲愴をきわめている。けれども、重役然と落ちつき払って、自動車にのりこんだ。どうやら自分の力でなしに、半平の気合いによって、重役然と持ちこたえているところが、危ッかしい。
 こうして、一行は箱根|底倉《そこくら》の明暗荘へ落ちつく。ここには昨日のうちに業務部の若い男が先着して、部屋も用意し、白米一俵と清酒一樽を取り揃えて待っていた。半平が正宗菊松にささやいた。
「あの男が雲隠才蔵《くもがくれさいぞう》さ。わが社|名題《なだい》のヤミの天才なんだよ。アイツが一人居りゃ、米だって酒だって自由自在さ。ボクたち寝ころんでいるうちに、みんな手筈をとゝのえてくれるよ。然し、今日は、やっぱりキミの秘書の一人だからね」
 やっぱり二十四五のチンピラであった。見たところニコニコと、能なしの坊ッちゃんみたいな顔である。
 一風呂あびて、昼食。正宗菊松が七八年見たこともない珍味佳肴の数々。然し、ゆっくり味あうこともなく、自動車がきました、という。あわてゝモーニングに威儀を正して玄関へ降りる。半平、才蔵、坊介の面々、すでに米俵や酒樽などを車中に持ちこんで、待っていた。
 箱根底倉の藤原伯爵別邸がマニ教の仮本殿となっているのである。自動車がスルスルと動きだして、わずかに二分と走らぬうちに、とある門構えの前にとまる。才蔵が駈け降りて門番に交渉すると、大門がサッとひらいた。大新聞も、ニュース映画社も、大雑誌社も、かたく閉したこの門内へふみこむことができなかったという難攻不落のアカズの門。なんの面倒もなくサッと
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