あいた。
白河半平がニヤリと笑った。当りまえさ、という顔であった。そして彼は、痩せッぽちの胸をグッと張って、腕組みをした。戦意たかまり、自信満々の様子である。
正宗菊松も戦闘にそなえて胴ぶるいをし、半平にまねて、胸をそらした。何か電気のようなもので、いつも半平に急所々々で気合いをかけられているようであった。自動車はスルスルと邸内へすべりこんだ。
その三 魂をぬかれて信徒の列に加えられること
献納の品々が仮本殿の内へ運びこまれる。ヨイショッと四斗俵を担いで運びこむのは才蔵と坊介、平山ノブ子は天草物産の製品を蟻のようにせわしなくセッセと持ちこむ。才蔵と坊介はとって返して酒ダルを。醤油ダルを。武芸者のようにいかめしく構えた教祖護衛の面々もポカンとしているテイタラクである。
ミヤゲ物を運び終ると、才蔵と坊介が正宗菊松の左右から、
「さア、どうぞ、常務」
と敬《うやうや》しく、うながす。もっぱら常務に敬意を払って、マニ教を自宅のように心得たなれなれしさ。するとノブ子がツと進みでて、常務の靴のヒモをときはじめる。
正宗菊松は自然に内部へあがりこみ、尚も才蔵、坊介にみちびかれて奥へ進もうとすると、ポカンと見とれている四五名の護衛の中から、威儀をとゝのえた中年の男がすゝみでて、
「コレ、コレ、不敬であるぞ、待たッしゃい。ここへ坐りなさい」
才蔵が小腰をかゞめて、
「ちょッと、教祖にお目通りを願いたいと思いまして」
「不敬であるぞウ」
中年の男は、われ鐘のような大音声で叱りつけた。それはまったく部屋の空気がはりさけるような全力的な一喝だった。才蔵、坊介の心臓男も、調子が狂って、びっくり顔。すると中年の男は、護衛の者に命じて、菊松の一行を二列に並んで坐らせた。
「神のイブキをかけてくれるぞウ。コウーラ。不敬者ウ」
中年の男の顔がマッカにそまった。まるで格闘するように、全力をこめて、ジダンダふんだ。ダダダッと二列に坐った一行の前まで走ると、グッと立ちどまって、のけぞるように胸をそらした。
正宗菊松はそのすさまじさにドギモをぬかれたが、それ以上の奇怪なことが起った。中年の男がダダダッと走り、グッと立ちどまって、のけぞると、護衛の若い男たちがアーッという悲鳴をあげて、ガバと倒れて、畳に伏し、手を合せて、恐怖のために身もだえて、祈りはじめた。
「マニ妙光。マニ妙光。マニ妙光」
頭の上に手をすり合わせる。怖れおののいて、声がワナワナふるえる。すり合わせる手もワナワナふるえて、そこから声がでるような秋の虫のようであった。
のけぞった中年の男が、おもむろに身を起して、前へかゞみ、
「ガアーッ」
突如として、イブキをかけた。爆心点はまさしく正宗菊松の頭上である。彼は呆気にとられて頭をちゞめたが、
「コウーラ、キサマ、不敬者ウ。魂をぬいてくれるぞう」
怒り狂った大音声がきこえ、しまッた、と思った時には、彼は力いっぱい肩を蹴られて、後列の人々の間にころがっていた。
正宗菊松は大失敗を犯したのである。彼はそれを蹴とばされる一瞬前に気がついた。自分の右に坐っている半平も、左側のツル子も、護衛の人々と同じように、畳に伏して、手をすり合わせていることを発見したからである。彼が蹴とばされて倒れたのは、坊介とノブ子の間であった。この二人も、その隣の才蔵も、例外なく、畳にふして、頭上に両手をすり合わせていた。
神の使者は容赦がなかった。
「コウーラ、不敬者ウ。コウーラ、コウーラッ」
一叫びごとに足をあげて、正宗菊松を蹴りつけ、踏みつけた。
先程まで、あれほど敬意を払ってくれた才蔵も坊介もノブ子も、彼を助けてくれようとはしなかった。
「マニ妙光。マニ妙光。マニ妙光」
彼らは一心不乱に手をすり合わせてワナワナと拝みつゞけているのみである。自分たちの間へ彼が倒れて、踏みつけられているというのに。
「お助け下され。相すみません」
正宗菊松は必死に叫んだ。
「私が悪うございました。お助け下され」
菊松は、踏みつける足をすりぬけて、身をねじり、ガバと畳に伏して、頭上に両手をすり合わせた。
「マニ妙光。マニ妙光。マニ妙光」
「コウーラッ」
神の怒りは、まだ、とけなかった。神の使いは、菊松の両手をつかんで、ズルズルとひきだした。
「コウーラッ」
神の使いは片足で菊松の頭をふみつけ、額をしこたま畳にこすらせた。
「悪うございました。相すみませぬ」
菊松は、とうとう泣きだした。どうして、自分一人が、いじめられなければならないのだろう。彼はこの時ほど痛烈に少年のころを思いだしたことはない。彼は弱虫で、馬鹿正直で、そのくせ、すこし、ずるかった。彼は悪太郎にそゝのかされて、手先に使われるたびに、いつも捕えられて、叱りとばされるのは自分だけであった。
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