スパイを辞さぬツル子であったが、あいにくのことに翼の生えたイタズラッ子が胸に弓の矢を射こんでしまったから仕方がない。挙止まことに不自由をきわめてサルトルが目覚めた気配にサッと緊張する。スパイともなれば、こゝでニッコリ笑みをうかべて、おめざめですか、と紅唇をひらくところであるが、全身コチコチに石と化して呼吸困難、言葉の通路はとッくに立ちふさがれている。
視線を動かすこともできない。正面を睨みつけて息をのんでいるから、サルトルは恐縮した。なにか御無礼をはたらいて、可憐な麗人を怒らせてしまったらしいナ、と冷汗をかいた。
「ヤ。どうも、これは相すみません」
とび起きて、タタミに両手をついて、平あやまりにあやまる。これだから、酔っ払いは都合がわるい。何をしたか覚えがないから、ヤミクモにあやまる一手。
「昨夜は意外のオモテナシにあずかり、例になくメイテイいたしまして、まことに不覚のいたり。はからずも粗相をはたらきましてザンキにたえません。ひらにゴカンベンねがいます」
額をタタミにすりつけて、平伏する。米つきバッタと思えば先様もカンベンしてくれるだろうという料簡である。
サルトルがここをセンドとあやまるから、ツル子も化石状態がほぐれて、
「アラ、そんな。おあやまりになること、ないんですわ」
「ハ。イヤ。まことにザンキにたえません」
「なにをザンキしていらっしゃるんですか」
「まことに、どうも、シンラツなお言葉で。実は、なんにも記憶がありませんので、ザンキいたしております。以後心掛けを改めますから、なにとぞゴカンベン下さい」
「じゃア記憶のないときザンキにたえないことを時々なさるのね」
「まことに面目ありません。今後厳重に心を改めます」
「えゝ、改心なさらなければいけませんわ」
「ハア、御訓戒身にしみて忘れません」
女というものはズウズウしいもので。化石したり、呼吸困難におちいっても、舌がまわりだしさえすればシャア/\と、ひやかしたり、だましたり、訓戒をたれたり、ユメ油断ができません。
「でも、あやまること、ありませんわ。私、接待の当番にあたって、これが社用ですから、あれぐらいのこと、我慢しなければいけませんのよ」
「あれぐらいッて、どんなことですか」
「昨夜のようなことですわ」
と、はずかしがって、ボッと顔をあからめる。嘘をついたカドにより良心が咎めて顔をあからめるワ
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