に口説くことを忘れたことがない。
ひとたび近藤ツル子の名がでると、半平と才蔵はにわかに不倶戴天の恨みを結ぶ間柄であった。半平がスパイの名に近藤ツル子をあげたから、驚いたのは一同、わけても才蔵である。半平の腹がよめない。奴め何事をたくらんでいるか。まさかツル子と言い交したわけではないだろう。だが待てよ。しばし箱根くんだりに島流しになっているうちに、などと黒雲のように疑念がわきたつ始末。
しかし半平はニヤリ/\と涼しい顔。
「元来スパイというものは、美しいこと、顔のよいことが条件だからね。もっともツルちゃんは楚々たる美少女だから、肉感的なマタ・ハリ的エロチシズムには欠けるけれども、優秀なる頭脳と高邁な気品でおぎなうから効果は百パーセントだね。ボクがムネを含めてスパイの心得を与えるから間違いはないよ。彼女はあれで旺盛な冒険心があるから、飛燕の如く巧妙に身をかわしながら要処々々をつかんでくれるね」
と目尻をさげて悦に入っている。
「一夜に探れなかったら、どうなるんだ」
「場合によっては、三日でも一週間でも、サルトル氏とともに箱根へやってもいいと思うよ」
「フン、そうかい。サルトル氏の毒牙にかかってもいゝわけか」
こう光秀にチクリとやられて、半平もちょッと苦しげに唇をかんだが、思い直して平然たる笑顔にかえった。
「ビジネスだよ。ボクにとっても、また、彼女にとっても。彼女がビジネスをいかに解するかの問題によって解決するね。彼女はたぶん身をまもることを知っているし、同時にビジネスを完《まっと》うすることも知っているね。なぜなら彼女はボクと同じぐらい頭脳優秀だからさ」
「チェッ。よしやがれ。オレは反対だい」
と才蔵が叫んだ。
「スパイなんてのはスレッカラシのやることだい。ツルちゃんが頭脳優秀だって、惚れたフリだの、そんなことができるもんか。商売女と違うんだ」
「できますとも。雲さんよ」
と、半平は平然たるもの。
「由来女というものは魔物なんだよ。いかに楚々たる処女といえども、生れながらにして性愛の技術を心得ているものさ。嘘と思ったら八ツぐらいの小学一年生を一週間観察してごらんなさい。男の子はてんでギゴチないけど、女は天性の社交術と自然の媚態を与えられていることが分るからさ。雲さんも恋に盲いてビジネスを忘れてはいけないね。また、恋人をいたわることは、恋人を信頼することより
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