ゆずり伝えたカミシモをつけ、もう電燈もガスも鉄道もある、道義も人情も仁愛もある、法律もあり統制された秩序もある、だから中世じゃない、こう考えて、そのカミシモを疑うことを知らなかった。
 このカミシモが今日まで伝承完成するに千年ほども時間がかゝっているのだから、これはもうカラダの一部分だというぐらいに誰しも考えていたのであったが、アニはからんや、戦争が二三年つゞくと、千年の時間がアッサリ消えてもとに戻り、我々はもうカミシモを身につけていないことに気がついたわけだ。
 カミシモは時間によって、はかるべからず。私が時間を疑うことを知ったのは、戦争のせいだ。私も青年時代はエチカだの中観論などを読んで、過去も現在も未来も疑うことができるが、疑うことのできないのはある一つの実在だけだというようなことを尤もらしく考えることを鵜のマネしたが、私は今はもう唯物論者であり、然し、唯物論者も、歴史や時間を唯物的に疑うことができる、イヤ、疑わねばならぬ、そんなことはテンデ考えてもみませんでした。まことに、どうも、知らないということは情けない。私はつまり戦争を知らなかったからである。
 目下の我々のモラルや秩序
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