、私をのぞくとヨタモノみたいなのは一人もいないから安心だと思っていると、そうじゃない。夜が明けると来るわ来るわ、後へ並ぶ人間より前へ割込む人間共がはるかに多い。
 オバサン、こっちよ、私たちの隣組、こゝよ、と言うと、アヽ、そうか、案外うしろの方だね、などゝ言いながら、前後左右から一人三人、たちまちにして私は百番目以下になってしまうのである。
 こゝに至って、私は座の起源というものに新認識を加え、これはヨタモノの縄張りと同じものである。もっとも、組合や座がヨタモノの集りだというのじゃなくて、人間窮すればみんなヨタモノである、ヨタモノの縄張りの精神に帰する、要するに、然し、窮しているからだ。
 タバコが豊富にあれば、隣組座というようなものができて行列の座、まことにこれ座ではないか、文字通り座席である。座や権利を主張するには及ばない。
 昔も窮していたのだろう。徒党を組んで共同戦線をはらないと、やって行かれぬ境地にあったに相違なく、然しその結成の由来に於てはパンパンガールの縄張りと変りのある筈はない。
 だから読者諸君、銘記したまえ、戦争以来、日本は目下、中世なのである。つまり我々は父祖伝来
前へ 次へ
全26ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング