、かういふことは実に退屈だ! 僕は失礼します」
 のみならず、間髪も入れずに形だけの点頭《おじぎ》をすると、私はさつさと歩きだしてゐた。まあ、あの時の怖ろしい自責後悔、それを思つてもみて下さい。私はあの苦渋にみちた自責だけは今もなほ歴々と思ひ出すことができる。けれども歩き出した私の足は私の力ではもはやどうにもならないのだつた。何といふ悲しいことだつたらう。そして突嗟に泛かびあがつたあの途方もない決意は一体誰の決意なのかとても私には理解できない。思ふに私は別れのうらぶれた挨拶や奇妙に切迫した感傷や目当を失つた当惑なぞの惨めさを思ひ出して、どうしても敢てする勇気を失つたのであらう。全くさう考へてみれば私の悲鳴は正直な本音であつて、別れの奇妙に切迫した当惑なぞこそあの頃の私にとつて最も退屈なことであつたに相違ない。けれども私が悪かつた。
 私は太郎さんの気持はよく分る気がする。けれども其れを説明することはできない。全ては悪夢のやうなものだ。私は歩き去る私の背後に太郎さんのうわずつた甲高い声をきいた。
「ぢや、僕もここで失礼します。御達者に暮して下さい」
 つづいて私の背中に太郎さんの慌ただし
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