に私の心を和やかにした。しん/\と流れるものが私の頸《うなじ》をとりまいてゐたのだ。
 私達は時々親子のやうに連れだつて芝居を見物に行つたりした。私は劇場の賑やかな食卓に凭れ、最も機嫌の良い微笑を泛べながら、心にもない観劇の喜びを語るのが好きであつた。そして老婦人の的はづれな劇評に一々尤もらしい相槌を打つたりするのが愉しかつた。愚かしさのみ心に愉しかつたのだ。
 到頭太郎さんはひどい神経衰弱になり、お花さんもよほどヒステリイ気味になつてしまつた。
 私は太郎さんから次のやうな話をきいた。
 ある朝のこと、お花さんが鋭い顔付をして太郎さんを訪れてきて、恋愛はもう終つたとキッパリ告げたさうである。つづいて暗誦してきた科白を朗読でもするやうな声で、けれども私は貴方が立派な人だと思つてゐます、尚これからはセンチメンタルになりますまいと述べたさうである。太郎さんがどんな表情をしてどう答へ、その日の結果がどうなつたのやら私は知らない。私はそのことを訊ねなかつたのであらうが、太郎さんもそこまでは言ひたくなかつたのであらう。そのときも私は落付いた機嫌のいい顔付をして太郎さんの話を黙つてきいてゐた。却つ
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