私を迎へにくることもあつたが、そんな日に彼女の家へ行つてみると、戸をしめきつた暗い部屋に目を泣きはらした彼女を見出すことがあつた。私の来訪を知るともぞ/\起き上つてガタコト雨戸を開け放し泪の乾くまで空をぼんやり見てゐるのだ。私は愉しげにそれを見てゐた。
老いたる婦人と私は凡そくだらない茶飲み話になんと多くの貴重な時を浪費したものだらう! あの無駄な時間のうちに、私は二ヶ国の外国語を覚えることも出来たであらう。神様と奇蹟の話、怪しげな教義の解説、昔の風俗の話、死んだ人の思ひ出。けれども彼女の話の方が私のくだらない話よりどれだけ実《み》があつたか知れない。私は真面目くさつた顔をして、否、寧ろ自分の話に熱中さへしながら、化物の話や嘘つぱちな科学の話や知りもしない仏教の教義を諄々と説き明した。私は時々愉しげに笑つた。否、殆んど終始悦ばしげに微笑んでゐた。私はその頃せつなかつた。実感のこもつた話はしたくなかつた。すべて真剣なことは落寞とした私の心に自卑を強め、私を脅やかすばかりで、私はそれを避けなければならなかつた。それゆゑ彼女との無役《むえき》な時間が、退屈ではあつたが、むしろ退屈であるため
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