#「いたはり」に傍点]の目で彼を眺めてやる代りに、冷静な批判の目で彼の心の隅々まで監視してゐた。それは恋人の目ではない。そのくせ彼女は自分が太郎さんの愛人であることを無批判に前提とし、自分の恋心に就ても毫も疑ひを持たなかつた。彼女はさういふ理知的な恋もありうると信じてゐたのだらう。寧ろ信じたかつたのであらう。けれどもそれは恋ではない。恋は常に盲目だ。お花さんは恋の一歩手前にゐながら、それを恋と信じてゐたのだ。それだから、どうしてもシックリしない情熱を統制しなければならない勝気なお花さんも苦しかつたに違ひないが、太郎さんは尚のこと苦しかつたに相違ない。
「だつて私はどこかへんに隙間があるやうな気がして、心が落付かないわ」
 お花さんは私に言つた。
「私は苛々する」
 彼女は何度さういふ呟きを私に洩らしたかしれない。
 お花さんの阿母《おっか》さんは私の仲良い友達であつた。彼女は子供思ひの善良な母であつたが、同時に変な宗教の信者であつたり能楽が好きだつたりしたので、考へ方が偏狭でお花さんの気持を思ひやることができなかつた。寧ろ太郎さんに同情を寄せ、娘は変質者の狂つた気持でも持つてゐるのでな
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