決闘
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)倅《せがれ》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)みづ/\しい
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 妙信、京二郎、安川らの一行が特攻基地へ廻されたのは四月の始めであつたが、基地はきゝしにまさる気違ひ騒ぎで、夜毎々々の兵舎、集会所、唄ふ奴、踊る奴、泣く奴、怒る奴、血相変り、殺気だつた馬鹿騒ぎである。真剣をぬいて剣舞のあげくに椅子を真ッ二ツに斬りこむ男、ビールビンをガラス窓に叩きつける男、さうして帰らぬ征途につく。規律などは滅茶々々、酔つたあげく兵舎の窓をとびだして妓楼へ行く奴、町へくりだし情婦の家へくづれこむのは良い方で、女を押へつけて無理無体に思ひをとげる奴、上官は見て見ぬフリ、士気があがつてゐるからアバレル、血気がなくては敵の軍艦に突ッこめない、まるでもう当り前の顔でかう言つてゐる。
 妙信はこれ幸ひとこの生活になじんだ。彼は浅草のお寺の子供で、お経の方は仕方なしに覚えたけれども、清元と常磐津は師匠について身を入れて習つた。喧嘩は強い方ではなかつたが、ミコシをかついで騒ぎまはるやうなことが大好きだから、戦争は度が過ぎると思つたが、坊主はどうも虫が好かぬ。そんな性質だから、ビンタがなきや兵隊ぐらしも捨てたものぢやないなどゝ内々気楽に思つてゐるところへ、特攻隊、まだ死ぬのは早すぎる、まつたく暗い気持になつたが、ヤケ、ヤブレカブレ、飛行機のりになつた時から時々夜中に淋しさ、やるせなさで、ふいに首を突き起して思ひきり怒鳴りたいやうな気持になることがあつた。愈々来たか、ダメか、と思ふと一両日は時々いはれなく竦むやうな、全身冷えきる心持に襲はれたものであつた。
 だから特攻基地へ廻されてきて気違ひ騒ぎを見ると、ハハア、みんなやつてる、オレだけぢやないんだ、グロテスクきはまる因果物を見せつけられてそれが人ごとでない感じ、思へばわが身にせまる不安は身の毛のよだつものであつたが、それと一しよに妙にゾクゾク嬉しく勇ましくなつてきた。よろし、オレもやるぞ、さつそく夜陰に窓からぬけだす、ビンタがないから大いに豪快で、淫売宿にナジミもできたが、挺身隊の女工の情婦もでき、女事務員とも仲がよくなり、看護婦にも一人いいのができた。
 安川は医者の三男坊で絵カキ志望の男であつたが、この基地へきて、たまたま星野といふ未亡人と知りあつた。星野家はこのあたりでは名の知れた古い家柄のお金持で、未亡人に一男一女あつたが、長男は出征して北支で死に、まだ二十五の秋子といふお嫁さんが後家となつて残され、あいにくのことに遺児がない。妹の方は十九でトキ子といつた。
 星野夫人は自分の倅《せがれ》が戦死のせゐもあつて、兵隊が好きで、特別特攻隊の若者たちに同情を寄せてゐた。
 そこで行きづりの若い兵隊を自宅へ招いて御馳走するのが趣味であつたが、誰でも招待するのかといふと、さうではなくて、一目見て気に入らなければそれまで、気に入ると、街頭でも店頭でもその場で誘つて自宅へ案内する。さういふわけで星野家へ出入りするやうになつた兵隊が安川もいれて五人ゐた。
 五人の兵隊がみんなトキ子が好きなのだ。元々特攻といふものは必ず死ぬ定めなのだから、夫婦になる、さういふ未来のあるべきものぢやない。だから基地では一人の女を五人六人で情婦にする。さういふ場合はまゝあつたが、未来にどうといふ当《あて》のない身は磊落で鞘当ても起らない。
 ハッキリ情婦となつてしまへば却つて鞘当てはないのだけれども、相手が処女、清純楚々たるタヲヤメであるとやゝこしくなる。ヌケガケの功名といふ奴があるからで、そこで五人が相談して、トキ子さんは我々のアコガレなんだから、胸にだいておくだけで汚さぬことにしよう。女のからだが欲しければ商売女があるのだから、と約束したが、そのとき最も年長二十六になる村山中尉が口をだして、然しアコガレを胸に死ぬといへばキレイだけれども、四人死ぬ、最後に残つた一人がどういふことも出来るわけで、さうなつては先に死ぬ者の気持が無慙だ。だから特攻に出発ときまつた者だけその出発までトキ子さんをわが物とする定めにしよう。かう言ひだしたのは彼は中尉で編隊長であり、ほかの者、安川などはまだ一人前とは云へないやうな飛行機のりだから、自分がまッさきに貧乏クヂをひきさうだからで、なるほど然し言はれてみれば先に死ぬ者の気持の暗さは無慙であるから、よろしい、その定めに約束した。これは五人だけの約束で、トキ子も未亡人もあづかり知らぬところであるから、独裁横暴、いかにも勝手だが、眼前に見る祖国の壊滅、わが身の自爆、それを思へば彼らの心中も同情の涙を禁じがたい。
 ところが皮肉なことに、この五人には、いつかな特攻命令が下りない。そのうち出撃もめつたに無くなり、八月をむかへてから、にわかに二編隊十人、その中に安川がはいつた。五人の中で安川が先陣といふことになつたのである。
 この十人の特攻隊には安川たち三人組、死なばモロトモといふ仲良しの妙信と京二郎も含まれてゐた。
 京二郎は他の隊員から変物と見られてゐたが、それは彼が無口で唄もうたはず酔つた素振りも見せない、さういふせゐではなくて、彼が女を知らないといふせゐらしかつた。
 まつたく京二郎は女を知らなかつた。妙信や安川が夜陰に兵舎をとびだして女を買ひに行つたり、町の情婦を誘ひに行つたりするとき、否、この基地へくる前から、京二郎は女の遊びにつきあつたことがない。
 然し、本来は至つてツキアヒの良い奴で、ほかのことには誘はれてイヤだと言つたことがなく、欲しくもない酒、見たくもない映画、なんでもつきあふ。女のことだけが別で、妙信が自分の情婦の友達などを執り持つてやつても、発展したためしがなかつた。
 センチな純情派、偏屈な童貞型、特攻隊の中でも童貞型がまゝあるが、京二郎はセンチでも偏屈でもなかつた。人のことには寛大で、心に柔軟性があり、狭い純情型の正義派ではなかつたが、オレはまア、ともかく女を知らずに死んでやるさ、といふどこか悠々としたところがあつた。
 いつたいが、この男は、人々みんながやることはやりたくないやうな素振りで、ほかにべつに文句はないさ、といふやうな頓狂な飄々たるところが、いかにも間のぬけた感じで、だから変物に見える。
 然し京二郎は心中ひそかに、実は最も女が欲しい、女のからだが欲しかつたのである。
 とはいへ、恋がしてみたいと云つたところで、自分の一生が人まかせで、おまけに、いつ死なねばならぬか、もはや目の先に迫つてゐるのだ。自由もなければ、自然も、意志も、実はない。懐疑すらも有り得ないのだ。
 彼は死ぬのはイヤだ。切なかつた。然しそれをどうすることもできない現実なのだから、酒と女に身を持ちくづして、ときのまの我がまゝ勝手をつくしても、それによつて紛れるよりも、人によつて殺される自分のみぢめさが切なく思はれるばかりに見える。どうせ殺されるなら、ソッと殺されよう、声も立てず、悪あがきもせず、さう思ふと、いくらか心が澄むやうだ。
 どうせ祖国は壊滅する。英雄も軍神もありはせぬ。超人を信じ得ないといふことは、まことに死ぬ身にとつてはつらい。まつたく、もう、人間ではない。軍艦にブツカルためのエネルギーであるほかに全然意味がない存在であるといふこと、この事実がぬきさしならぬことだから、それを思へばグウの音もでず、たゞポカンと、そして絶望に沈んで起き上る由もないではないか。
 とはいへ、彼とても、別に女にこだはることはないではないか、なぜ女にだけこだはるか、さう思ふことは絶間もなかつた。
 すると又、あいにくなことに、最も欲するものを抑へること、せめてそれが満足である、いはゞまアそれだけが人間の自覚のやうな気がして、そんな理窟で間に合ふことも多かつた。
 だから彼はふだんイヤな士官だの司令の奴を、死ぬときまつたらひとつヒッパタイテやらうなどゝいふ気持よりも、誰にでも愛想よくサヨナラと云つて、サッサと死んでしまふ方が気に入つてゐた。
 然し愈々命令が下つたときには目も耳もくらみ、心は消え、すくんでしまつたもので、あゝ、これを絶望といふのだ。絶望とは決して人間の心に棲むものではない。狂気の上にあるものであり、人間に非ざる心に在るものであつた。
 突然京二郎は全宇宙を砕きたい怒りに燃えた。すると又にわかにもはや又絶望、喪失と落下と暗黒と氷結にとざゝれてゐる。すると又、にわかに怒りに狂ひ、又喪失と落下と暗黒。さういふ繰返しの波がひいて現れてきた自分も、然しもう先程までの自分とは違ふやうな、なぜとも知れずハッキリ分る差の感覚が、まことにイヤらしくこびりついてゐるのであつた。

          ★

 その日のひるまは三人そろつて町へでたついでに、星野家へ挨拶に立ちよつた。妙信と京二郎ははじめての訪問で、ちよッと上つてお茶をのんできたゞけだつた。
 その夜は集会所で送別会がひらかれ、例の如き気違ひ騒ぎ、他の隊員には血相変りたゞならぬ者もゐたが、三人組はふだんの通りで、妙信は清元をうなりカッポレを踊り、次には素ッ裸でヤッコサン、京二郎は例の如く全然黙々たるものであり、安川も途中まではふだんと変らなかつたが村山中尉が酔つ払つてやつてきて酒をさして、
「ヤイ、貴様が先陣とは面白い。立派にやれ。ひとつ、のめ」
 横柄であつた。むろん階級の差も年齢の差もある。無礼講もその差は一応当然でカンにさわる筋はなかつたが、二人のつながりは軍人としてゞはなしに、人間のもので、そのつながりの上だけでの交際なのだから、安川は急にビリビリ緊張した。
 安川はひるま挨拶に行つてちよッとお茶を飲んできたゞけで一応気持は済んでをり、約束をたてにトキ子のからだを強要できることなどはもはやこだはらずに始末のできる気持であつた。
 然し村山の横柄な態度のうちに、どこか残忍な、我慾のためには他をかへりみぬ性格をよむと、こいつの場合は是が非でもやる、トキ子さんが泣いてイヤがつても捩ぢふせやりとげる奴で、その不安は以前から胸にあつたが、目のあたり見なければそれで済んでゐられたのである。
 安川の眼つきが変つた。酒盃をテーブルへ置く手までふるへて、立ち上るから、
「貴様、オレのついだ酒うけないのか。無礼な奴だ」
「何が無礼だ。オレはこんなカラ騒ぎの席にゐたくないから引きあげるのだ。約束を果してくる用件もあるからな」
 素ッ裸の妙信が、
「おッとッと。待つてくれ。オレも一しよに退散する。オレもひと廻り廻るところがあるのだから」
 軍服をきて一しよにでる。京二郎もあとにつゞいて出た。
 辻へきて、妙信は別の道へ別れるといふので、
「君はどうする。当がないのだつたら、オレと一しよに星野のうちへ来ないか」
「オレが星野のうちへ行つても仕方がなからう。このへんをぶらぶら歩いてみよう。妙になんとなく歩いてゐたいのだから」
「さうかい。なんとなく君にも来てもらひたい気持なんだが、ぢやア、仕方がない」
 二人は右と左へ、京二郎はあとへ戻りかけると、安川がふりむいて、
「おい、くることができないのか。一しよにくる気持にならないかな」
「ならないな、別に当もないけれども、今夜はもう今夜きりぢやないか。思ふやうにしてみるほかに仕方がない」
「さうか」
 京二郎が一しよに来てくれないせゐだと安川は思つた。このまゝで行くと、どうしてもトキ子を手ごめにすることになる。決意とも違つてヤケクソ、捨て身、さういふものだ。それを警戒して誘つてゐるのに京二郎が来てくれないから、どうしても、さうならずにゐないだらう。こんなふうな甘へたやうなヤケな気持で遠い昔に道を歩いてゐたことがあつたやうな気がする。幼いころ、母に甘へ、母に怒り、さういふヤブレカブレで。
 トキ子の母に会ひトキ子に会ふと、気持は別人のやうに落付いてゐた。然しトキ子を散歩につれだして町外れの河原へでると、ふとした情慾の念をきつかけに支離滅裂な逆上が起つた。嫉妬かと思へば絶
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