望であり、あらゆるものへの呪咀と破壊を意志したときには一途の愛惜に目のくらむ思ひもしてゐる。
 安川はトキ子をだいてゐた。
「あなたとこのまゝ別れては、僕は死ぬことができないから」
 どいつもこいつも、こんな言葉でこんなことをするのだらう、と安川はイマイマしく思つたが、もはや何物をも顧慮することができない。そして彼は自分のどこにもブレーキがないので驚いた。否、驚くひまもなく、実際的な行為とそれをやりとげる力だけが、それだけが自然のやうに次々と起り溢れた。それはまるで芸術の至高の調和のやうな充実した力量感と規律的なリズムをみなぎらしてゐるやうであつた。
 トキ子はさからはなかつた。たゞ地の上へ押し倒されたとき、あゝ、といふウツロな声をもらしたゞけだ。安川の悔恨はその声の回想から起つた。恋でもなく行きづりの愛情からでもないのだらう。あなたとこのまゝ別れては死にきれないと云ふ、それだけの呪縛であり、祖国のためにイノチをちらす若者へのこれも祖国のイケニヘの乙女の諦念にすぎないではないか。
 彼はこの思ひをつとめて抑へてゐたが、集会所をとびだして夜道へ降りて以来、なぜトキ子を手ごめに行くか、嫉妬
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