ら、安川は急にビリビリ緊張した。
 安川はひるま挨拶に行つてちよッとお茶を飲んできたゞけで一応気持は済んでをり、約束をたてにトキ子のからだを強要できることなどはもはやこだはらずに始末のできる気持であつた。
 然し村山の横柄な態度のうちに、どこか残忍な、我慾のためには他をかへりみぬ性格をよむと、こいつの場合は是が非でもやる、トキ子さんが泣いてイヤがつても捩ぢふせやりとげる奴で、その不安は以前から胸にあつたが、目のあたり見なければそれで済んでゐられたのである。
 安川の眼つきが変つた。酒盃をテーブルへ置く手までふるへて、立ち上るから、
「貴様、オレのついだ酒うけないのか。無礼な奴だ」
「何が無礼だ。オレはこんなカラ騒ぎの席にゐたくないから引きあげるのだ。約束を果してくる用件もあるからな」
 素ッ裸の妙信が、
「おッとッと。待つてくれ。オレも一しよに退散する。オレもひと廻り廻るところがあるのだから」
 軍服をきて一しよにでる。京二郎もあとにつゞいて出た。
 辻へきて、妙信は別の道へ別れるといふので、
「君はどうする。当がないのだつたら、オレと一しよに星野のうちへ来ないか」
「オレが星野のうちへ行つても仕方がなからう。このへんをぶらぶら歩いてみよう。妙になんとなく歩いてゐたいのだから」
「さうかい。なんとなく君にも来てもらひたい気持なんだが、ぢやア、仕方がない」
 二人は右と左へ、京二郎はあとへ戻りかけると、安川がふりむいて、
「おい、くることができないのか。一しよにくる気持にならないかな」
「ならないな、別に当もないけれども、今夜はもう今夜きりぢやないか。思ふやうにしてみるほかに仕方がない」
「さうか」
 京二郎が一しよに来てくれないせゐだと安川は思つた。このまゝで行くと、どうしてもトキ子を手ごめにすることになる。決意とも違つてヤケクソ、捨て身、さういふものだ。それを警戒して誘つてゐるのに京二郎が来てくれないから、どうしても、さうならずにゐないだらう。こんなふうな甘へたやうなヤケな気持で遠い昔に道を歩いてゐたことがあつたやうな気がする。幼いころ、母に甘へ、母に怒り、さういふヤブレカブレで。
 トキ子の母に会ひトキ子に会ふと、気持は別人のやうに落付いてゐた。然しトキ子を散歩につれだして町外れの河原へでると、ふとした情慾の念をきつかけに支離滅裂な逆上が起つた。嫉妬かと思へば絶望であり、あらゆるものへの呪咀と破壊を意志したときには一途の愛惜に目のくらむ思ひもしてゐる。
 安川はトキ子をだいてゐた。
「あなたとこのまゝ別れては、僕は死ぬことができないから」
 どいつもこいつも、こんな言葉でこんなことをするのだらう、と安川はイマイマしく思つたが、もはや何物をも顧慮することができない。そして彼は自分のどこにもブレーキがないので驚いた。否、驚くひまもなく、実際的な行為とそれをやりとげる力だけが、それだけが自然のやうに次々と起り溢れた。それはまるで芸術の至高の調和のやうな充実した力量感と規律的なリズムをみなぎらしてゐるやうであつた。
 トキ子はさからはなかつた。たゞ地の上へ押し倒されたとき、あゝ、といふウツロな声をもらしたゞけだ。安川の悔恨はその声の回想から起つた。恋でもなく行きづりの愛情からでもないのだらう。あなたとこのまゝ別れては死にきれないと云ふ、それだけの呪縛であり、祖国のためにイノチをちらす若者へのこれも祖国のイケニヘの乙女の諦念にすぎないではないか。
 彼はこの思ひをつとめて抑へてゐたが、集会所をとびだして夜道へ降りて以来、なぜトキ子を手ごめに行くか、嫉妬によつてならば村山を叩き斬るべきで、それによつてトキ子を手ごめにすることはない、さういふ声をきいてゐた。
 村山を叩き斬れば祖国のために死ぬことができなくなる。だから仕方がない。トキ子が自分のやうなものとつながりを持つたのも、自分が祖国のために死ぬといふ定めのためによつてゞあり、これだけは如何なる絶望逆上混乱をふみつぶしても為しとげねばならぬ。すべての特攻隊がさうしてをり、村山にしても、彼もやつばりトキ子をすてゝやがては征かねばならぬ、又、征く、必ず征く筈だ。
 さう思へば、どうしても手ごめに行くより仕方がない。約束なのだから、約束を果さないセンチの方が卑怯だなどゝも思つた。
 然し思ひを果して何が残つたかといへば、祖国の名に於て純な乙女をイケニヘにしたといふ後味の悪さばかり、起き上り、立ち離れて茫然と立ちすくんでゐると、トキ子も起き上り精神的な混乱と肉体の苦痛で歩くことも容易ならぬ様子であつた。そこで再び悔恨が胸につきあげて逆上すると、祖国の名に於てイケニヘになるのはトキ子ばかりではない。自分のイノチがさうではないか。トキ子が何物であるか。自分の場合はイノチが自分のすべてのものが。そ
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