な特攻命令が下りない。そのうち出撃もめつたに無くなり、八月をむかへてから、にわかに二編隊十人、その中に安川がはいつた。五人の中で安川が先陣といふことになつたのである。
 この十人の特攻隊には安川たち三人組、死なばモロトモといふ仲良しの妙信と京二郎も含まれてゐた。
 京二郎は他の隊員から変物と見られてゐたが、それは彼が無口で唄もうたはず酔つた素振りも見せない、さういふせゐではなくて、彼が女を知らないといふせゐらしかつた。
 まつたく京二郎は女を知らなかつた。妙信や安川が夜陰に兵舎をとびだして女を買ひに行つたり、町の情婦を誘ひに行つたりするとき、否、この基地へくる前から、京二郎は女の遊びにつきあつたことがない。
 然し、本来は至つてツキアヒの良い奴で、ほかのことには誘はれてイヤだと言つたことがなく、欲しくもない酒、見たくもない映画、なんでもつきあふ。女のことだけが別で、妙信が自分の情婦の友達などを執り持つてやつても、発展したためしがなかつた。
 センチな純情派、偏屈な童貞型、特攻隊の中でも童貞型がまゝあるが、京二郎はセンチでも偏屈でもなかつた。人のことには寛大で、心に柔軟性があり、狭い純情型の正義派ではなかつたが、オレはまア、ともかく女を知らずに死んでやるさ、といふどこか悠々としたところがあつた。
 いつたいが、この男は、人々みんながやることはやりたくないやうな素振りで、ほかにべつに文句はないさ、といふやうな頓狂な飄々たるところが、いかにも間のぬけた感じで、だから変物に見える。
 然し京二郎は心中ひそかに、実は最も女が欲しい、女のからだが欲しかつたのである。
 とはいへ、恋がしてみたいと云つたところで、自分の一生が人まかせで、おまけに、いつ死なねばならぬか、もはや目の先に迫つてゐるのだ。自由もなければ、自然も、意志も、実はない。懐疑すらも有り得ないのだ。
 彼は死ぬのはイヤだ。切なかつた。然しそれをどうすることもできない現実なのだから、酒と女に身を持ちくづして、ときのまの我がまゝ勝手をつくしても、それによつて紛れるよりも、人によつて殺される自分のみぢめさが切なく思はれるばかりに見える。どうせ殺されるなら、ソッと殺されよう、声も立てず、悪あがきもせず、さう思ふと、いくらか心が澄むやうだ。
 どうせ祖国は壊滅する。英雄も軍神もありはせぬ。超人を信じ得ないといふことは、まことに死ぬ身にとつてはつらい。まつたく、もう、人間ではない。軍艦にブツカルためのエネルギーであるほかに全然意味がない存在であるといふこと、この事実がぬきさしならぬことだから、それを思へばグウの音もでず、たゞポカンと、そして絶望に沈んで起き上る由もないではないか。
 とはいへ、彼とても、別に女にこだはることはないではないか、なぜ女にだけこだはるか、さう思ふことは絶間もなかつた。
 すると又、あいにくなことに、最も欲するものを抑へること、せめてそれが満足である、いはゞまアそれだけが人間の自覚のやうな気がして、そんな理窟で間に合ふことも多かつた。
 だから彼はふだんイヤな士官だの司令の奴を、死ぬときまつたらひとつヒッパタイテやらうなどゝいふ気持よりも、誰にでも愛想よくサヨナラと云つて、サッサと死んでしまふ方が気に入つてゐた。
 然し愈々命令が下つたときには目も耳もくらみ、心は消え、すくんでしまつたもので、あゝ、これを絶望といふのだ。絶望とは決して人間の心に棲むものではない。狂気の上にあるものであり、人間に非ざる心に在るものであつた。
 突然京二郎は全宇宙を砕きたい怒りに燃えた。すると又にわかにもはや又絶望、喪失と落下と暗黒と氷結にとざゝれてゐる。すると又、にわかに怒りに狂ひ、又喪失と落下と暗黒。さういふ繰返しの波がひいて現れてきた自分も、然しもう先程までの自分とは違ふやうな、なぜとも知れずハッキリ分る差の感覚が、まことにイヤらしくこびりついてゐるのであつた。

          ★

 その日のひるまは三人そろつて町へでたついでに、星野家へ挨拶に立ちよつた。妙信と京二郎ははじめての訪問で、ちよッと上つてお茶をのんできたゞけだつた。
 その夜は集会所で送別会がひらかれ、例の如き気違ひ騒ぎ、他の隊員には血相変りたゞならぬ者もゐたが、三人組はふだんの通りで、妙信は清元をうなりカッポレを踊り、次には素ッ裸でヤッコサン、京二郎は例の如く全然黙々たるものであり、安川も途中まではふだんと変らなかつたが村山中尉が酔つ払つてやつてきて酒をさして、
「ヤイ、貴様が先陣とは面白い。立派にやれ。ひとつ、のめ」
 横柄であつた。むろん階級の差も年齢の差もある。無礼講もその差は一応当然でカンにさわる筋はなかつたが、二人のつながりは軍人としてゞはなしに、人間のもので、そのつながりの上だけでの交際なのだか
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