中一万三千の兵力を二手に分け、一は北国街道より、一は富倉峠より信濃に入り、善光寺に休憩。折から栗の季節であるから、栗ヨーカンを食ったのち、大荷駄と五千の兵を善光寺に残し、余は小荷駄と八千の兵を率いて川中島を横切り、妻女山に本陣を構えたのである。
松代方面からの山脈が川中島の中央部に突入して終っているのが妻女山で、山脈の終点だから最も低い山ではあるが、川中島へ突入しているために川中島の全貌が手にとる如くに見分けられる。北方は遠く善光寺まで見通しだ。
また海津城は三キロ東方の眼下にあり、その彼方に松代がある。妻女山につながる山脈は松代の背面を迂回しており、この山々の麓には過ぐる太平洋戦争に日本軍部が築きかけて終戦となった松代大本営の地下室への入口のいくつかが望見できるのである。天皇の居室に当るところは、山峡に入口が設けられており、ためにここから見ることはできない。随行の放善坊は、海津城の動勢よりも松代大本営の設計に多大の興味を覚えた如くであったが、余もまた若干その傾きがあった。
「海津城の後左に大きな石塁をつんだ入口らしいのが見えますな。あの入口の向う側に大本営の正面入口があるらしいで
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