ない幼時の夢だといふことが書いてあつた。同じ著者が越後の新発田《しばた》へ旅行したことがあるらしく、南国の蝙蝠に関聯して、雪国で見た陰鬱な蝙蝠の思ひ出を語つてゐる。雪国で泊つた一夜、炉辺で話をしてゐると、煤けた天井の暗がりから一匹の蝙蝠が羽音をバタ/\させながら頭上をとんで別の一隅の暗がりへ消えていつた。南国の爽やかな黄昏をとぶ蝙蝠に思ひ比べて、そのあまり陰鬱な羽音に心の暗い思ひがしたといふのであつた。これはいはば北と南の相違に就て語つたものだが、私の言ひたいのは相違ではなく、その反対の場合である。
私は元来佐藤春夫や井伏鱒二の小説にみる郷愁的な色彩には肉親的な同感を感じ易い。然し彼等の郷愁は私の実際のそれとは違つて非常に明るく爽やかな南国的なものである。又私は少年時代、北原白秋の思ひ出なぞといふものに異常なノスタルヂイを刺戟されたものであるが、あの風景が九州の暖国の色調に溢れたものであることは、今更私が言ふまでもないことであらう。然し又、これを逆にした事実があるのである。私の作品に血族的な類似を感ずる人達の中でも、私のあの雪国の暗澹たる気候につながる郷愁に最も愛着を感じる人達は、そ
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