るところの町人の身振り手振りなぞ、見た眼には大袈裟であるが、然し現代の大阪人にも同じ物が実は生きてゐるのである。小田原の山は蜜柑畑で、一面人体と高さの違はぬ灌木ばかり、大樹の影や暗さがない。それに空気の澄んだ所で、光線が明るいのである。牧野信一の文章は冗長でありながらも非常に明るく澄んでゐる。靄がないのだ。このことは私の文章に靄が深く、私の生れが靄深く暗澹たる雪国であることに比べると、こんなところにも、やつぱり脱けきれない気候の影響があるのだと思ふ。
むかし「南紀風物誌」といふ本を読んだことがある。(西瀬英一著、竹村書房刊)南紀州、つまり熊野から串本、新宮あたりの本州最南端の風物を描いたものである。権兵衛が種まく烏がほじくるといふ有名な権兵衛が実は実在の人物で、新宮であつたと思ふが、あのあたりに碑もあり、事蹟も残つてゐることなぞが書いてあつて面白かつたが、その本に、南国のたそがれ、子供達が竿をたづさへて路上へでる。「蝙蝠ほい……」と呼びながら飛ぶ蝙蝠を竿で叩き落さうとして、その一日の落日の中をはしやぎまはるといふ、南国に育つた人にはその嫋々《じようじよう》たる郷愁に結びついて忘れられ
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング