の大多数が実際は南国生れの人々であつた。
タマーラ・カルサビーナはロシヤ生れの舞姫でニジンスキイと踊つた「ペトルシカ」なぞすでに歴史的なものであるが、先年この人が「ルビュウ・エブドマデエル」に思ひ出の記を連載してゐた。その中に、スペイン生れの画家パヴロ・ピカソとつきあふうちに、この南方人の激情的な血の中に非常に多くのロシヤ的性情を見出して吃驚《びつくり》したといふことが書いてあつた。この二人は例のヂアギレフの「ロシヤ舞踊団」で一緒に仕事をしてゐたもので、当時ピカソは背景を書いてゐた。ロシヤ舞踊団はリュシヤン・バレーやコルサコフ、ストラビンスキー等のロシヤ音楽を欧洲に紹介したばかりではなく、ピカソや詩人コクトオや六人組の温床であつた。思ふにピカソは南国の生れであつても、元来南国と北国の共に激烈な気候の影響が、その激烈な切なさ深さに於て全く類似してゐるから、その性情が一脈通じてしまふのだらうとカルサビーナは結論してゐたやうであつた。
ドイツの暗澹たる雪空をのがれ、太陽をもとめて伊太利へ馬車を急がせたゲーテは、然し恐らく太陽を異国の空のものとしてもとめてゐたとは思はれない。雪国の暗い郷愁
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