プらしいものはなかったが、塚田にうち負かされて名人位を落ちた直後の一年はサンタンたる不成績であった。木村ほどの豪の者でもそうだ。塚田は名人位を失ってのち、いまだに混迷状態から脱け出せない。碁の藤沢は九段を得てのち甚しく不成績であるし、木谷も長いスランプがうちつづいている。
すべてスランプというものは、技術上のことではなくて、精神の不安定がもたらすのであろうが、大山にはそれがないように見えるのである。
塚田が名人位に就いたとき、最初の挑戦者となったのは若冠二十五の大山であった。彼はB級から一躍とびあがってA級の上位三者をなぎ倒して挑戦者になったが、その落付きと年間のめざましい戦績から、世間の大半は彼の勝利、大山次期名人を疑わなかったようである。私もそう思った。
大山は若年にして老成。礼儀正しく、対局態度は静かで、一言にして重厚という大そうな人物評価を得ていた。観戦者が筆をそろえて、彼の重厚な人柄を賞讃していたものだ。
ところが、この名人挑戦対局に至って、いちじるしい変化が起った。彼の重厚な人柄が一変していたのである。倉島竹二郎君の語るところによれば、ただ、呆れるばかりであったとい
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