かに将棋九段が現れてもおかしくはない。柔道は十何段ある。そこでトーナメントの優勝者に九段を与えることになった。
 この企画は一応成功したようだ。棋士たちが九段という名に魅力を感じ、それに執着して戦局に力がこもってきたからだ。トーナメントの形式は従前通りほぼ変りはないのだが、名というものは理外の魅力があるものだ。勲章などもそうであろうが、勝負の世界はまた別で、相手をうち負かして一人勝ちのこった認定、そのハッキリした力の跡を九段の名で表彰されるのだから当人の満足も深い。棋士たちの間には新聞社私製の九段が何だ、と云う反旗を示す者があるにしても、九段位争奪戦というものがあって、当人もそれに参加して争って負けた以上は九段が何だと云えなかろう。勝てばいいのだ。勝負の世界はハッキリしていて、負けた者は負け、これをくつがえす何物もない。勝負は水ものだと云えば、昇降段戦名人戦も水もの、それを云えばキリがない。負けた者は負けたのである。
 そこでトーナメントに優勝し、最初の九段になったのが大山であった。
 この大山という勝負師はまことに珍しい鋼鉄性の人間である。誰しもスランプというのがある。木村にはスラン
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