のクリクリした丸顔のいつも陽気で、これ又いつもニコニコしてゐる愛嬌者だが、こつちの方は血のめぐりがよく、商売上手なところがある。
「サブチャン、いゝねえ。アタクシも一口、マスター、オタノオします、ヘエ」
「君はダメだよ。未成年者ぢや、警察が相手にしやしないから」
「でも、マスター、アタクシも支配人の見習ひぐらゐに、ゆくゆくは支配人に取りたてゝいたゞきたいので。刑務所ならアタクシが身替りに参りますよ。御礼なんぞはサヽイでよろしいので。もつぱらアタクシ将来の大望に生きてをりますので、ヘエ。マスター、一本、いかゞ」
 と、胸のポケットからシガレットケースをとりだして、上等なるタバコをすゝめる。追つかけてライターの火を慇懃《いんぎん》にすゝめる。如才がない。
「君のうちは何をしてたの?」
「ヘエヽ。マスターも人が悪いな。こんな時に身元調査は罪ですよ。アタクシのオトッチャンはたぶん男だらうと思ひますけど、それを訊いちや罪でせう。オッカチャンは洋食屋を営業致してをりました、露店なんで、トンカツ、三十銭、こんなに厚い。でも、隣のトンカツにくらべると、ココロモチ薄いんで、女はなんとなくケチでして」
「オレ刑務所へ行つてきます」
 とサブチャンが決心に蒼ざめて、言ふ。出世の手蔓を人にとられちや大変だから、いさゝか、せきこんでゐる。王様は無言、懐口のズッシリふくらんだ財布から五千円つかみだして、握らせる。
「アレ、目の毒だわよ、マスター。アタクシも忠義したいのよ、イケマセンカ」
「いづれ何か頼む時もあるさ」
 五枚、ノブ公に握らせてやる。
「エヘヽ。健康を祝します。一本、いかゞ」
 チョッキのポケットから別のシガレットケースをとりだす。こつちのケースには更に上等のシガレットがつめこんであつた。

          ★

 落合天童は六・一自粛、政府の決意たゞならぬことを見とゞけたから、裏口営業などゝいふケチな稼ぎは考へない。
 ちかごろマーケットに養神道施術といふアラタカな仙術使ひが現れて、占ひもやる、病気も治す、身の上相談にも応じる、尚その上に宗教の信心を説いて、教理がまことに的確深遠であるといふ。大へん評判が高くなつて、遠いところから遥々《はるばる》くる人もたくさんある。身のふり方、お金もうけ、商売繁昌、神様の心にふれると、色々の方面にわたつて、惜しみなく御利益を下さる。
 こゝのマーケットは半分店を閉ぢてゐるが、その中の馬小屋を三ツ占めて、先づ上ると、待合室、その次が、伺ひの間と云つて、こゝで神様の高弟が人間と神様との中間的な仙境から冷酷無慙な反射鏡をさしてらして過去の罪障にカシャクなく迫る。すべて罪障が明るみへさらけだされて、自ら痛悔が行はれ、心も洗はれ改まつて赤子の無心に戻ることができたとき、愈々奥の間で神様に対座することができる。
 最上清人もそのたゞならぬ御利益を伝へきいたから、未来の運勢、夜の王様の構図に就て、神様の助力を仰ぐことにした。待合室から伺ひの間へ通されると、真ッ白な筒袖の着物をきた背の高い若い男が自然の愛嬌のこもつたニコニコ顔で迎へてくれる。これが神様の高弟で、人間と神様の中間の仙境から反射鏡をさしてらすといふ仙術者、つまり落合天童なのである。
 ヤア、しばらく、と最上清人が対座して、タバコをとりだして火をつける。
「あ、いけません、いけません。こゝでタバコをすつてはいけません。この部屋では虚心と充心といふものを行ひますから、あなたはもう外界の生活からカクリされなければいけません。ちよッと、あなた、手相を拝見いたしませう。なるほど、この線が成長してゐる、この外の線は目下停止してゐますな。そちらの手は? こつちぢやこの線が活動してゐる。だいぶん活動がたくましい。危険が多い。人の運勢は精神で見ちやいけません。たゞ物質として判断する。手相の示すまゝに物質として解くのです。この線の動き、これは慾望です。慾望の線なら誰でも動いてゐるにきまつてゐさうなものですが、案外なもので、六割かた、この線は停止してゐるものですな。あなたのこの線には色々の線が複雑に交錯関係してゐる。まるで、少年みたいに生長してゐるんだな。そのくせ根本が薄い。根の小さな植物がどんどん生長する。この線がさうです。あなたの現在を語つていたゞけますか。あなたが助言をもとめてをられることは?」
「僕は事業を考へてゐるんだけどね。僕は然し、それに就て、直接神様の判断をきかなくともいゝんだ。きく必要もないね。たゞ、君たちが僕の何かから何かを感じとつて、なんとか云ふのをきいて、参考にするつもりなんだらうな。君の方で何か、なんとでも、やつて下さい」
「ハア。それは的確に、もう、全然、究めて下さるです。私なんか、まだ全然人間の知識からぬけきれないから、運命といふものに物的に即す、さういふ世界ぢやないですな。たとへば、あなたのこの手相でも、手相自身が語つてゐる、私はそれを人間的に読む、ですから、いけない。然しですな、私が見ても、この手相はよろしくないです。ツギ木に花がさいてる。季節ぢやなしに、狂ひ咲きです。あなたは、とんでもないことをしてますね。それは小さな無理です。然し、結局とんでもないことだ。さうなるのです。あなたは何か、たとへば、こんな、たとへばですよ、こんな風な無理をしたことはありませんか。たとへば十円の料金の何かゞある。あなたはそれに二十円払つて、まアとつときな、と言ふ。とんでもない無理だ。それに、あなた、こゝに一つ生長の反対、消えつゝある線がある。智能線の分脈したもので、つまり知性に当る線です。あなたは没落してゐるのです。あなたは学問を信用しちやいけませんよ。学問なんか、手の線に現れやしません。手の線に現れるのは、五円もうけるところを十円もうける人、十五円もうける人、さういふ智能が現れる。あなたの智能は、だんだん消えてゐる。いゝですか。あなたは今、どんどんお金がもうかつてゐるかも知れません。然しですよ、お金をもうける智能は消え衰へてゐる、こんな手相はルンペンなんかにある手相で、ルンペンだの失業者だの生活能力のない人間は、みんなこれと同じやうな智能線でして、あなたの手相が示してゐるものはルンペンにすぎないのです。その上、無理をして、損をする、ルンペンであり、更に又、没落の相がある、ルンペンの相と没落の相と両方あるといふのは、いかにもヒネクレた手相だなア。これは奇怪なまでに悪の悪、これほど下等な手相は殆どない。私は始めてゞす。全然無智無能、人間の屑、屑の屑、ルンペン以下、いつたい、そんなのが現実的に在りうるのかな。これは奇怪そのものだ。ちやうど番がきましたから、見ていたゞきませう。さア、どうぞ」
 奥の間に羽目板にもたれて、ウツウツと居眠るやうに坐つてゐるのが、聴音機のオバサンであつた。明るい花模様のヒフをきてゐる。
「あなた、たゞ、坐つてらつしやい。何も仰有《おっしゃ》る必要はない。用件も、万事わかつてゐらつしやるのです。すでにもう、あなたと同化してゐらつしやる、お告げがあるまで、お待ちになつて、ゐらつしやい」
 と、仙境の人は、神の坐にはたまらぬ如くにソソクサと引き下る。
 聴音機のオバサンは一|米《メートル》一五しかない。ビッコだけれど、坐つてゐれば分らないやうなものだが、坐つてゐてもビッコのやうな坐り方で、ヤブニラミだけれど、これも目を閉ぢてゐるから分らないやうなものだが、目を閉ぢてゐても両の目の大きさが違ひ、一つは一の字、一つはへの字の形をしてゐる。獅子鼻の下に、出ッ歯の口をあけて、その歯の汚らしいこと。神様になつても、髪の毛をモヂャ/\たらしてゐる。深刻めいたところが全然なく、無智無能、たゞポカンと目を閉ぢてゐるだけで、二分ぐらゐで、目をとぢたまゝ、
「いやになつちやうね」
 と、すこし、首をふつた。
「いやになつちやうね」
 又、しばらくして、
「いやになつちやうよ」
「何が?」
「バカは死なゝきや治らないよ。お前はバカだらう」
「さうかも知れないね」
「お前はもう、いゝ。お下り。ムダだよ」
「何がムダなんだい」
「バカは仕方がないよ」
「バカか。バカがお前さんよりもお金をもうけてゐるか」
「女に飢えてるよ。アハヽ。いけすかないバカだ。助平バカ」
「お前も男に飢えてるだらう」

 最上清人は立上つて、ノッソリ伺ひの間へ戻つてくる。別のお客と対座してゐた仙境の人が、最上を目でまねいて、
「あなた、ちよッと」
「もう、いゝよ、分つたよ」
「ちよッと、手相を」
 今度は天眼鏡で、つぶさに見究はめて、
「下の下だ。仕方がないんだなア。あなた、お告げに見捨てられたのは、あなた御一人ですよ。さうなる以外に仕方がない。あなた、然し、どうでせう。養神道の道理に就て、すこし、心をみがゝれては。私が手ほどき致しますが、養神様からも毎日一言二言おさとしがある筈です。このまゝぢやア、あんまり、お気の毒です」
「養命保身かい?」
「それもあります。一言にして云へば、クスリ、すべてを治す、ですから、クスリ、養神様はあなたを見捨てたけれど、あなた、見捨てられちや、いけません。もう一度伺つてごらんなさい。伺ひなさい。あなたに伺ふ心が起れば、見捨てられない証拠です。伺ひますか。いかゞですか」
「ふん」
 清人はひやかしてやる気持になつた。それで、ふらりと、再び養神様の前に立つ。
「お坐り」
 清人はあぐらをかく。
「よい子になつた。今にだんだん坐るやうになるよ。今日はお帰り。又、おいで。信心のはじまりは、そんなものだよ。叱りはせん」
 清人は外へでゝ背延びをしたが、養神様はほんとに何か通力があるのかも知れないといふ気持もした。

          ★

 最上清人は近ごろ人間の顔の見方が違つてきた。
 以前は小数の「不可能型」といふものを愛してをり、つまりこれは哲人の顔なのである。その他は資本家も政治家も貴族も、ましてボンクラ共は、みんな一まとめにその他大勢の有象無象といふわけで、オヒゲのピンとはねてゐるのが陸軍大将だらう、などゝ俗でない見解にアッサリ万事を托して落付きはらつてゐたのである。
 近ごろは、さうはいかない。
 資本家顔、政治家顔、貴族顔、彼はさういふ通俗な型には今更驚きもしなかつたが、とるにも足らぬその他大勢の有象無象に「現実顔」とでも言ふべきものを発見して、一方ならず讃嘆した。哲学者はさすがにエモーションの出方が違つて、彼は即ち、これを讃美したのである。
 その顔は三万円や五万円をポイと払つて行く顔だつた。そのくせに商人のやうに如才がなくてインギンで、つまり彼等は抜目のない商人なのである。彼等は現物を見た上でなければ取引しないといふチャッカリ屋で、カラ手形といふものが全然きかない現実家であつたが、そのくせ彼等は現物を見ずに取引してゐるのである。
 これはいつたいどういふカラクリによるのだらう。つまり彼等自身が骨の髄からのチャッカリ屋で、現物を見ずに取引する不安の心理を知りぬいてゐるから、逆に現物を見せずに取引する手段、コツ、無限の工夫を案出することもできるわけだが、要するにサギ師なのである。然し彼等も現物を見ずに取引するから面妖で、平気でサギにかゝるのである。といふのは、自分もサギにかゝる代りに、そのネタによつて更に多額のサギをはたらく見込みをつかんだからで、サギ師とサギ師の取引といふものは禅問答以上に専門的で不可解きはまるものであつた。
 世耕情報といふものがある。彼等はそれと直接何の関係もないけれども、それをキッカケに無数のカラクリを案出して儲ける手腕をもつてをり、サギにかゝつた本人をのぞけば、彼らは誰に対してもインギンで、親切で、善良だつた。
 彼らはみんな若かつた。二十七八、三十前後、どこの馬の骨だか分らない通俗的な顔をしてをり、事業家の顔でもなければ政治家の顔でもない。サギ師の顔でもないのである。そして千差万別だつた。
 木田市郎はいかにも身だしなみのよいセールスマンといふ様子で、女性的なざらに見かけるタイプであつたが、シサイに眺めると讃美すべき
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