然落付き払つて、退屈しきつて、見たこともないタイプだから、薄気味悪くなつて、お見それしました、と引上げる。
 パンパンと共同戦線、するとパンパンと兄弟分ぐらゐのチンピラが五人ほど、パンパンの紹介でやつてきて、マーケットぢや食へなくなつたから、お酒、ビール、米、醤油でもタバコでも安く仕入れてくるから引取つて下さい、その代りお店のためには血の雨でもくゞるから、と言ふ。取引は市価の闇相場だから、別にこの取引を拒絶することはない。居ながらに取引ができるだけ楽だ。
 最上清人も驚いた。
 オレがもしその気がありや、なんのことはない、自然にアル・カポネになつちまふやうなものだ。これで禁酒令でもしかれた日には、密造密売、酒と女、否応なく夜の国の王様に自然に祭り上げられてしまふだらう。
 目のあたりパンパンの稼ぎぶりを見せつけられるヨッちやん母娘はにはかに思想が一転して、お前も稼ぎな、今こそ時期だよ、パンパンの組へ入れてもらふ。最上清人は万事にわが意を得て、天の時といふものがソゾロになつかしくて堪らない。
 倉田博文もキモをつぶして
「御時世といふものは、独創的なものぢやないか。最上清人先生がおのづからアル・カポネになるなんて、日本歴史のカイビャク以来、人相手相星ウラナイ、物の本にこんな予言のあつたタメシはないだらうな。全く、あなた、われわれ、歴史を読み、哲理を究めたやうな顔付をして、わがニッポンのギャングの親分が国定忠次や次郎長の型から突然最上先生に移つてくるとは、こいつは気がつかなかつたな。政令の結果は驚くべきものぢやないか。然しこれは政治の力ぢやなくて、アルコール、禁酒令といふものゝ独特な性格なのかも知れねえな。最も孤独なる哲人といふものは、どつちみちフランソア・ビヨンか、そいつを裏がへした聖人君子なんだから、ギャングの性格が腕力主義から商業主義へ移る時にはビヨン先生が夜の王様になるだらう。最上先生は深遠偉大そのものなんだな。アルコールの取引はたゞ餓鬼道の折衝あるのみといふ、これが夜の王様の威厳にみちた大性格であることをたゞの今まで気付かなかつたとは赤面の至りです。こゝに至つて、私も新興ギャングの乾分になりてえな。最上先生の片腕とまでは行かねえけれど、小指ぐらゐの働きはあるだらう。新興マーケットの一つぐらゐは預る腕があるだらうと思ふんだがな」
 最上清人は時間を怖れてゐるのであつた。時代の過ぎ去る時間である。この時代たるや、たゞの時代ぢやない。七・五休業令、たつたそれだけの泡沫の如き時間なのだから、たゞその時間のアブクの流れの消えないうちに餓鬼どもをしぼりぬいて地下に財宝を貯へてしまはねばならぬ。夜の王様の寿命もせゐぜゐ半年にすぎないことが分りきつてゐる。アル・カポネの故智を習ふのはこゝのところで、
「ぢやア、どうだらう。この店の名義を君にゆづるから、裏口営業がバレたら、君が刑務所へ行くかね。謝礼は十万はづもう」
「ふざけちや、いけませんよ。十万ぐらゐで臭い飯が食へますか。いくら私が働きがなくつたつて、ひと月に七八万は稼いでゐますよ。女房子供をウッチャラカシに養ふたつて、二万ぐらゐの捨て扶持《ぶち》はいるだらう。ちよッとオダテルてえと、あなたといふ人はすぐそれだから、宝の山にいつも一足かけながら、隣の谷底へ落つこつてばかりゐるんだな。私だつたら、三月くらひこんで百万、半年くらひこんで二百万、その半分を今、あとの半分はくらひこむ直前にいただかなきや。どこの三下だつて、この節の十万ポッチで刑務所の替玉をつとめますか。然し、あなたが三十万だしや、私が替玉を探してあげる。失礼だが、あなたのやり方ぢやア、とても三十万ぢやア替玉は見つからねえな。嘘だと思つたら、方々当つてごらんなさい」
「三十万だすぐらゐなら、僕が刑務所へ行つてくるね。僕はすこし睡眠不足でくたびれたから、刑務所で眠るのもいゝ時期だと思つてゐるから」
「なるほど最上先生なら、あそこで安眠できるかも知れねえな。然し、あなた、かりに替玉が刑務所へ行つてくれたつて、こゝの営業が停止されちやア、刑務所入りの方が安くつくやうなものぢやないか。そこんところも、手段を考へておかなきやいけない」
「むろん考へてゐるさ。その考へがなきや、替玉なんか探しやしないね」
 と、物事の計画に、思案の数々、深謀遠慮ぬかりのない大哲人のことで、タバコの軽い一服よりもアッサリとした御返事である。
 事実に於て最上先生はこの盛り場から郊外電車で四ツ目のところに、階下が八、三、二畳、階上が六畳といふ借家、二家族十人つまつてゐるのを三万円だかの立退料で交渉をすゝめてゐる。つまり先生はそつちの方へ自宅を移して、タヌキ屋の外に自宅営業、もつぱらパンパンと共同戦線で、特別の上客に限つてホテル兼料理屋、その代りパンパンには昼食をサービスしたり、アブレた時の無料宿泊にも応じ、ゆくゆくはパンパン・クラブの如きものを作つて特別の会員相手にイカサマぬきのルーレットだの、ダンスホールとバスルームづきの大ホテルなどを建設しようといふ、相談相手はパンパン姐御の吹雪のお静といふ睨みのきいた淑女であつた。
「私たちにいくらかづゝ利益がありや、どうせ私たちだもの、契約にのつてあげるわ。その代り、あんまり色気をださないでね。こつちはショウバイだから、ショウバイぬきの色気といふのは止しませうよ」
 吹雪の姐御は単純明快であつた。二十七、妖艶な麗人で、旦那も情夫も、定まる男といふものを持たない。万端色気をショーバイだけで押切り通してきたところに、姐御の貫禄があるのである。マーケットの親分代理といふやうな立派なアンチャンが焼跡へつれこんでピストルで脅迫してもダメ、くんづほぐれつの大格闘に服もシュミーズも破れてハダカになつても反撃ミヂンも衰へず、お金には買はれてやるよ、あんたに限つて洋服代をちようだいするから。アンチャンは洋服代の苦面《くめん》がつかず、いまだに目的を達してゐない。手下のパンパンが十七人、十八九から二十二三まで、たいがい女学校卒業の家出娘で、住所もなければ配給もない。後顧の憂ひがないから、快活で、個人主義のカタマリで、姐御といつても便宜上の一機関、仁義も義理も尊敬も愛情もない。それはさうにきまつてゐる。住所も係累もないのだから、いつ、どこへでも飛んで行かれる。どこでも開業できるのだから、たまたま郷に入つて郷に従つてるだけの話だ。
 吹雪の姐御はそれでもサスガに「私たち」といふ複数の言葉を用ひることを心得てゐるが、チンピラどもは一人称の複数などは用ひる場合を知らないやうなものだつた。お客と自分をひとまとめに複数にする精神もない。お客などゝいふものは、いつの誰さ? あゝ、あのアレか、彼女等は男を男として観察するのぢやなくて、蟇口《がまぐち》として観察し、その重量と使ひッぷりに敬意を表する。
 オイランとは全く違ふ。インチキ・バアのインチキ女給とも違ふ。その違ひを決定づけるものは、住所がない、といふこと。いつ、どこへ行つても天地が同じであるといふ風流の本質に詭弁を弄せずして合致してゐるせゐなのである。
 アルコールの餓鬼取引には六ヶ月の期限がついてゐることを重々承知の上で、最上先生が意外、夜の王様の雄大な構想をくりひろげる。それといふのも、吹雪の姐御にいさゝかの思召《おぼしめ》しが巣食つたからで、配下のチンピラどもにも捨てがたいのが七八名はゐる。肉体を切り売りしてゐる魔窟の姐さんとちがつて、荒んだやうなところはあつても、楽天派で、自然のやうに純粋であつた。
 彼女らは貯金魔だ。もらつた金は貯金して、買ひ物は男にせびる。握つたが最後、自分の金は使はぬといふ頑強な本能をもつてゐる。男に洋服を買はせ、次の男にハンドバックを買はせ、次の男に靴も買はせた。帽子だけが足りない。あすの男に帽子を買はせて揃ふけれども、一時も早く着てみたくて我慢ができぬ。そこで、ちよつとショートタイム、帽子をかせいでくるわ、昼からでかけて、一時間ほど後に帽子を被つて帰つてくるといふ稼ぎ方で、軽快、荒れてるやうで子供のやうな可憐な情感がこもつてゐる。帽子か、帽子は安い、オレが帽子にならう、と最上先生も言ひたいところだけれども、全部がナジミで、夜の王様の貫禄もあることだから、色気ぬきのショーバイだといふ先方の大宣言にも拘らず、全然スタートの恰好がつかないのである。そこで、もつぱら、夜の王様の構図に向つて実際的なスタートを切り、ケチな小パンパンへの情慾を、豪奢な大パンパンへの夢想によつて瞞着する。
「あつちのウチぢや、酒と料理の外に、麻雀、碁将棋、トランプ、花フダ、遊び道具を取り揃へてお客が自分のクラブのやうに寛いだ落つきをもたせるやうにするんだな。お風呂をつくつて朝から夜中までわかすんだ。その代り、特別よりぬきの上客だけに限定して、その連中だけ、とつかへ引きかへ遊びにこなきやならないやうな気分をつくらなきや、いけない」
「アラ、いけないわよ。クラブのやうに心得て勝手にノコノコやつてこられちや、お客がハチ合せしちやうわよ。そこでなきやならないなんて、きまつたウチは窮屈さ。街で拾はれなきや、第一、気分がでやしないや」
 青天井が骨の髄まで泌みてゐる。夜の王様の構図の如き、蔑むべき、卑小きはまる、家庭の模倣にすぎないのである。たぶん彼女らには同じ日の繰り返しが堪へられず、毎日が未知の旅行の期待によつて支へられてゐるのかも知れぬ。
 然し夜の王様は、彼女らがヂオゲネスではないことを見抜いてゐるから、パンパンどもは青天井の明るさと家の暗さを知るだけで、宮殿の生活なぞは知りやしない。王様の構図は夜の宮殿なのだから、無智無学のパンパンどもの臍をまくつたドグマチズムに驚くことはないのだとタカをくゝつてゐる。
 彼は然し思索癖の哲人に似合はず、きはめて現実的な実際家でもあり、富子を口説くときも、天妙教へ乗りこむ時もさうであつたが、かういふシニックな御仁は年と共に浪曼的に若返へるもので、彼が大学生の頃は鼻先で笑殺した筈の夜の王様の想念に、内々極めてリアルな憑かれ方をしてゐる。それといふのが大学生には女の肉体は夢想的なものであるが、四十男の最上清人に於ては的確に想定せられた肉体自体と好色精神の、夢といふものゝミヂンもない現実の淫慾があるのみだ、といふ、さういふ原理によるのであつた。
 そこで彼は夜の王様の現実的な把握のために神を怖れぬ不敵の一歩をふみだしたが、パンパンどものアミだか、配下だか、マネヂャアだか、パンパン共の口添へでタヌキ屋の仕入れ係をつとめてゐる五名のチンピラ、十八から二十二までの赤ネクタイの少年紳士、まつたくこの連中は食ふことよりもポマードだのワイシャツ、靴、靴下などに有金の大部分を投じてゐるとしか思はれない愛嬌のある国籍不明のマーケット人種、その中で最も図体が大きくて、ノロマで、ニキビだらけで、いつもニヤニヤ思ひだし笑ひをしてゐるサブチャンといふお人好しに、最上先生が目をつけた。
「サブちやん、たのみがあるんだがね」
「ヘエ、マスター」
「サブチャンを見込んで頼むのだけど、僕の片腕になつて協力して貰へないかな」
「アハハ。オレなんか、ノロマで、ダメだよ」
 カポネ親分なら、こんな時にカミソリよりも冷酷に死刑宣告的な用件を至上命令的に、きりだすだらうと考へたから、彼も亦、カポネ風にきりだした。
「タヌキ屋の名儀を君にゆづる。名儀料は月々五千円だす。そして、手入れがあつた時は、君が責任を背負つてくれる。罰金だけで済まなくて刑務所へ送られた時は、当座の謝礼に五万円、刑期が終つた時は、この店の月々の利益の半分は君のものだ。同時に君はこの店の支配人であり、僕のあらゆる事業の最高の相談相手、会社なら、副社長といふところだね。承知かね」
「ハア」
 サブチャンは呑みこみが悪いから全然ポカンとしてゐる。そこでユックリ、かんで含めて説明をくりかへす。
「ナルホド、へえ」
「名儀料の月々五千円は今日からあげるよ」
 そのときサブチャンと一緒にノブ公といふ最年少、十八の少年がゐた。五尺そこそこ
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