であつた。
 東京の飲ン平どもは専らマーケットといふところでカストリのゴヤッカイになつてゐる。マーケットは青空市場のなれの果だから、板によつて青空を仕切つて人間共に位置を与へる。何百といふ馬小屋が並び、こゝへ一匹づゝ馬を飼ふのかと思ふと、十人ぐらゐづゝ人間を並ばせてカストリを飲ませる。馬なら一匹だけれども、人間なら十人つめて、この節の酔つ払ひは衰弱消耗して、羽目板を蹴とばす奴もゐないから、小屋もいたまない。当節は百円札が単位だよ、靴の裏皮を張り変へたつて四百五十円、カストリ一杯三十五円ぢやねえか、おまけにノンダクレの勝手のオダにつきあつて、これはあんた商売ぢやアない、社交奉仕だよ、クソ面白くもねえ。馬小屋の旦那は厭世思想家でニイチェなどゝいふ人と同じぐらゐ大胆卒直に思想を吐露するから、お客は益々衰弱する。ところへ六・一自粛、馬小屋には裏座敷がないから、厭世財閥の旦那方が真剣に慌てた。
 財閥の旦那が慌てるのは、持てる者は不幸なるかな、旦那方が慌てなかつたらラクダが針の目をくゞる、予言の書物にあることだから、これは筋が通つてゐる。わけの分らないのは馬小屋に十人づゝ並んでゐた連中で、この連
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