サヨナラもタダイマもオハヨウも、その他親しみのこもつた言葉何一つしやべらず、宿六をなんと思つてゐるのだか、同衾《どうきん》はする、しかしそこから宿六といふ特別な人格などはミヂンも設定の意志がなくて、かうなると宿六も切ない。どんな男でも、男には身をまかすものときめてゐるものにしか思はれないから、どこで何をしてゐるか、男といふ男がみんな恐怖の種、教会の神主、失業オヤヂ、病気のヂヂイもその子の中学生も、みんなおそろしくてたまらない。
「君の結婚した人なんて人だつたの」
「知らないわ」
「何人ゐるの」
「一人にきまつてるわ」
「教会のオバサンは八人といつたよ」
「一人よ。私、失恋したのよ」
 誰に失恋したのだか、八ヶ月の人物だか、一週間の口だか、一晩の口だか、皆目分らない。僕は君の何かね、ときいても、知らないわ、なぜこゝへきたの、神様のオボシメシだといふ。
 着物を買つてくれ、靴を買つてくれ、煙草を買ひだめておくとそれを教会へ持つて行つて誰かにくれてくる、教会と手を切る工夫をしなければ気違ひになりさうだから、絶対男に会はせぬ手筈であつたが、是非もない。倉田博文の手腕にすがつて策を施す外《ほ
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