忙である。

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 人間の独専慾は悲しいものだ。最上清人はお衣ちやんを誰の目にもふれさせたくないのであるが、人間を小鳥のやうに籠に飼ふわけには行かないもので、朝の御飯をたべてしばらくすると教会へ遊びに行つてくるといふ。なぜ? 用があるの? 用件を具体的に説明するやうなことはなくて、たゞ用がある? 行つてくるわ、さうきめこんでゐる。籠に飼ひならされる精神はミヂンもなく、外出を拒否されるなど想像してゐないのだから、清人の承諾をもとめてゐるのと意味が違ふ。行つてくるわ、といつて立ち上つて黙つてをればそのまゝサヨナラも云はずに行つてしまふから、何時に帰るの? 私時計がないのよ、教会にあるだらう、でも私時計見ないもの、全然たよりない。仕方がないから玉川関にいひふくめて迎へに行つて貰ふ。十一時頃迎へにやると一緒に五時頃帰つてくる。そんなに長く遊んできちやいけない、ひるまへに帰れ、玉川関に断乎申渡して迎へにやると、ひるまへに帰つてきたが、子供を二三人づゝつれたオカミサン連を三人もつれてもどつて昼食をたべさせ、夕方までギャア/\バタ/\泣いたり糞便をたれたり大変な騒ぎをやらかす。
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