も安く値切り倒されてしまふですよ。ともかく着物をなんとかしませう」
 とオコウちやんにたのんで、着物をかしてもらつた。ところが富子が着物を失つてお勝手専門になると、お勝手は二人ゐらない、と女中に暇をやつてしまつた。そこで富子が店へでると、今度は女中の手が足りない。
 するとその晩偶然倉田について飲み廻つて一緒にとめてもらつた青年がある。彼も元来哲学生で、卒業まぎはに召集されて大陸でぶらぶら兵隊生活をして戻つてきたが、闇屋のかたはら小さな雑誌の編輯など手伝つてゐるうちに倉田と相知り、傾倒して彼を先生とよび、始めて偉大なる思想家に会つたと大いに感激してゐる。
 富子の語る一部始終を耳にして、よろしい、そんなら、僕がお勝手をやりませう、と申しでた。
「おい、君も困つたオッチョコチョイだな。お料理なんかできるのか」
「兵隊のとき、大陸でやりましたよ。豚をさいたり、蛇をさいたり、イナゴのテリヤキ、なんでもできますよ」
「そんな荒つぽい料理はいけない」
「いえ、学問の精神は応用の心がまへなんで、わけはないです」
「心がまへと経験は違ふよ。第一君、高級料理から下級料理への応用てえのは分るけれども、蛇
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