ノブ公はポケットからピースをだして
「誰か買つてくれないかな」
 最上清人は一枚やつてピース一箱、一本をぬいて口にくわへてチンピラ共の傍を去り、ひとり居間に立ち倉庫の如くにギッシリつみあげられた紙の山に見いる。
 彼は満足であつた。
 かういふ満ち足りた思ひを経験した記憶があつたであらうか。子供のころは、もつと有頂天の歓喜があつた覚えがあるが、今、彼は落付いてをり、まるで平チャラのやうで、水の如くに淡々として、そのくせズッシリふくらんだ蟇口の手応へのやうな、極めて現実的な感覚が精神について感じられる。
 金を持つ喜びといふものは、貧乏のころからでも心当りのない人間といふものはない。然し、物を持つ喜び、充実、満足、彼はつい三十分前までそれを予想もすることができなかつた。
 最上清人は先刻木田市郎がトラックをのりつけ話をもちこんで今にも帰りかけたとき、ま、ちよつと、それでは譲つていたゞきませう、と思ひ決して言つた。まつたくあの瞬間には目をつぶつて穴ボコへ飛び降りるほど思ひ決してをり、考へる余裕がなくて、トッサにヤケクソにサイコロをふつた態であるが、実際は甚しく不安であつた。
 彼はまつ
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