新時代の個性がある。これは私の説ではない。最上清人の発見なのである。
タヌキ屋のお客にエロ出版の社長がゐて、木田市郎から二百連ほどの紙をまはしてもらつたことがあつた。その話を耳にした、これもお客の一人の出版屋が木田市郎が来た折に紙をたのんでくれと言ふので、承知しました、最上清人も近ごろは言葉がインギンなものである。大商人ともなれば、おのづから、さうなる。木田市郎に話を伝へると、
「えゝ、今はありませんけど、近いうちはいりますから、まはして上げませう」
「失礼ですが、イントク品を払下げていらつしやるのですか」
「いゝえ、テキハツ屋ぢやありませんよ。私はたゞのセールスマンですから、つまり私は製紙会社へ品物を納めるお代に紙で支払ひを受けるのです。先方で現金よりも紙で支払ひたがるから、私が自然ガラにもなく紙のヤミ屋もやるやうになるだけの話なんです。私は紙は門外漢ですから、その時の取引のお値段で譲つてあげますから、あなたがそれで御商売なすつたら」
「それも面白いでせう」
最上清人はエロ出版の社長などゝいふ当り前の実業家は眼中に入れてゐない。政治屋も大会社の社長も陳腐で馬鹿らしく見えるのである
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