日に一度ぐらゐしか来ない。奥さんは美人だなア、とか、教養が高くて僕の始めての驚異の女性だなどゝ嬉しがらせを言つて帰る。然しどうもお酒を安く飲ませて貰う御義理の御返礼といふ感じでピッタリしないけれども、富子はそれを承知の上でなんとなく嬉しい気持になる。
 そこへもう一人現れた。ダンスホールのバンドにゐるというヴヰオリンをひく男で、三十歳、荒《すさ》みきつた感じだけれども、話してみると子供のやうな純粋なところがある。戦争中は満洲に流れてゐたといふが、まつたく見るからのボヘミアン、内職に闇屋をやつてお金をもうけてゐるなどゝいふのが、信用ができないやうな、何か痛々しいやうな感じがする。病的なぐらゐ透きとほるやうな白い顔で、荒れ果て澱んだ翳の奥に、冷めたい宝石のやうな美しさがたゝへられてゐる。悲しくなるやうな美しさで、よく見るとひどく高雅で、孤独で、きびしい何かゞある。
 瀬戸といふこの楽師は大酒飲みだ。来始めると毎晩きて、とことんまで飲む。かなり収入はあるやうだが、飲む分量が多すぎるから、忽ち借金はかさむ一方だが、そこで富子の心痛がふへた。清人は客の借金を極度に嫌つて、がむしやらに催促させ、借
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