店を飲みほすと思ふと、なんとなく胃袋に手ごたへのあるやうな爽やかな気もする。その代り、いつたい、どこで首をくゝつたらいゝのかな、とバカなことを心配したもので、街路樹へブラ下つてもいゝではないか。焼跡へ行くと、風呂屋だか工場の跡だか煙突のまはりに鉄骨のグニャ/\してゐるところがあるから、あの鉄骨へブラ下つてもいゝ。
 もう冬がきてゐた。彼は皮のヂャムパーをきて、マーケットのコック氏とオコウちやんの店を探し当てた。商用にきたのだ。店を売らうといふのだが、昔のナジミでいくらか高く買ふだらうと思つてゐたのに、どう致しまして、彼が一式居ぬきのまゝ三十万といふのに、コック氏は七万なら、と言ふあつぱれな御返事。するとオコウちやんが横から、あそこは場所が悪いから、いやだわ、などゝ足もとを見て、いぢめぬく。
 ちやうど倉田がきてゐた。
「店を売つちやうのかね。残念ぢやないか。店さへありや、一花さかせるのはワケない筈なんだが、店を売つて何か別の商売やるのかね」
「それを飲みほして、首をくゝるのさ」
「なるほど。それもよろしい。然し、なんだな。ちと芸のないウラミもあるな。芸といふものは、これは人生の綾ですよ。誰だつて、ほつときや自然に死ぬんだから、慌てゝ死んでみなくたつて、どうも、なんだな、お金がないからお金をもうける、女がないから女をこしらへるてえのは分るけど、お金がねえから自殺するてえのは分らねえ。ぢやア、どうだらう。最上先生、私がお店を買ひたいけど、お金がないから、私に貸してくれねえかなア」
「貸してもいゝよ。毎月三万円なら」
「三万円も家賃を払ふぐらゐなら、誰だつて買ひますよ」
「僕は月々三万円いるのだ」
「するてえと、最上先生の言ひ値で店が売れて、十ヶ月の命なんだな。オコウちやんの買ひ値ぢやア、二ヶ月と十日か。人殺しみてえなもんだなア。俺なんざア、一夜にして全財産を飲みほしてあしたのお食事にも困つたり、オコウちやんを彼氏にしてやられても、酒の味がだん/\うまくなるばかりで死ぬ気になつたことなんぞは一度もないけど、最上先生の思想は俺には分らねえ。ぢやア、かうしちやアどうだらう。オコウちやんにタヌキ屋の方へ支店をだして貰ふんだな。私を支配人といふことにして、店の上りの純益六割はオコウちやん、二割づゝ、支配人の給料と家賃てえのはどうだね。これはけだし名案ぢやないか」
「だめですよ。先生みたいな支配人、無給だつて雇ふものですか」
「さう言ふものぢやアないよ。それはオレはハキダメから料理をつくる腕はないけど、タヌキ屋の店なら一夜に平均してカストリ二斗、これだけは請合ふ自信があるです。カストリ二斗といふ請負ひ制度で行かうぢやないか。二斗以上の純益は私のもうけ、二斗以下の日は私の給料から差引く。いかゞです」
「お勘定」
「いけねえなア。最上先生、たまに会つて、呆気なく別れたんぢやア、首くゝりに出かけるところを引きとめなかつたみたいで、寝ざめが悪いよ」
「僕は商用にきたんだ」
「相すまん。最上先生の商用を茶化すわけぢやアないんで、あはよくば私も一口と思つたんだが、オコウちやんが相手ぢやア。こんなところへ商用に来るてえことが、最上先生は決定的に商才ゼロですよ。こゝに於て商談は中止に及んで、もつぱら飲みませう。首くゝりも最上先生の商談のうちでせうから、すでに拙者はとめないです。首くゝりも商用てえのは、意気だなア。首くゝりが意気てえわけぢやないけれど、人生、なんでも商用、なんでも金談てえのが、たまらねえな。然し、だんだん身の皮をはいで首くゝりへ近づいて行く商用てえのはあんまりイタダケないやうだけど、これが浅はかな素人考へといふのだらう。私は然し、最上先生には一つだけ足りないものがあると思ふな。それはつまり浮気は宗教である、といふ思想に就てゞすな。即ち浮気は宗教であるですよ。キリストも釈迦も説法をやるです。これ即ち口説《くどき》ですよ。衆生済度《しゅじょうさいど》といふですな。浮気も即ち救ふといふことです。口説は即ち女人を救ふ道ですよ。浮気によつて救ふ。肉体によつて救ふ。口説のカラ鉄砲といふのは、いけねえな。一万円あげるとか、お店をもたせてあげるとか、嘘をついて女を口説いてはいけないです。金なんかやる必要はない。有りあまるムダな金ならやつてもいゝが、無い金を有るやうに見せかけて女を口説かうなんてえのは、いけない。遊びとか浮気は、それを為さゞるよりは面白い人生なんだから、よつて我々はそれをやりませう、とかう言ふです。私はその真理たる所以を信じてゐるから、私が女を口説き、女がそれに応ずることによつて、女は救はれるといふことを信じてゐるです。即ち私の浮気精神はキリストなんで、最上先生の浮気はキリストぢやアねえな。こゝのところが最上先生に足りねえから、最上先生は首をくゝ
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