店へクラガヘの者、お客と一緒になるもの、五人の女は一時に消え失せ、残されたのは茫然たる富子たゞ一人。
今まで心を一つに働いてゐた。敵は大将たゞ一人、あとは戦友のやうなもの、うらはらなく打開けてたのしく日々を暮してゐた筈であるのに、たのむコック氏はオコウちやんと手に手をとつてアッといふ早業であり、残る女人連もヒソヒソ五人同志で相談しても富子には相談しかける者もなく、あなたはどうする、と訊いてくれる者もない。自分達だけ話をきめて、さよならとたゞ一言、みんな消え去り、富子だけ置いてきボリをくはされた。
みんなに裏切られ、置いてきボリをくはされ人情の冷めたさに泣いたあとで、気がついたのは、こゝは自分の家だといふこと、自分の家とはこんなもの、路傍の人情よりはいくらかマシだといふやうなセンチな気持になつた。これが失敗のもとで、一部始終をうちの宿六に打開けたから、いけない。
宿六はきゝ終ると、静かに顔をあげて
「おい、ヘソクリをだせ」
富子はアッと顔色を変へて
「アラ、オコウちやんから着物を三枚も買つちやつたわ」
「バカ。あれから四月にもなるんだ。着物の三枚ぐらゐ買つたつて、十万以上残つてゐるはづだ。こゝだな」
と、箪笥や戸棚のヒキダシやトランクをかきまはし、ナゲシの隙間や畳をめくつてみたが分らない。久しく使はない冬の布団をとりだして縫目を解いて綿の間をしらべても見当らない。
「うちに置いてないのよ」
「どこにある」
「倉田さんの奥さんに預けてあるのよ」
もとより嘘にきまつてゐる。執念の女がヘソクリを人に預けて安眠できるものではない。
「私の稼いだお金だもの、私のものよ」
「バカ。営業妨害だ」
「だつてあなたの営業方針なら、あなた自身の売上げだつて今より不足で、とつくにお店はつぶれてゐた筈よ。私たちのおかげであなたも儲けてゐたのだから、自業自得ぢやありませんか。口惜しかつたら、あなたもコックさんのやり方で、安直にやり直して、もうけるがいゝぢやありませんか。私たちが心を合せて、新に女給を募集して、うんと儲けてやりませうよ。ねえ、あなた」
「ぢやア、お前すぐ新聞社へ行つてこい」
「あら、あなたよ」
宿六は委細かまはず、広告の文案を書いて女房につきつけて、
「すぐ行つてこい」
「イヤ」
「行かないか」
たまりかねて、五ツ六ツ、パチパチとくらはせる。富子がこれだけねばるのだから、ヘソクリはこの家のどこかしらに必ずある。ふと気がついたのは、春先の安値に買つた四ツの火鉢だ。それを押入の奥へ積み重ねてある。あの灰の中が怪しい。
やにわに押入をあけて火鉢に手をかけると富子が腰に武者ぶりついた。富子を蹴倒しポカポカ殴つて延びさせておいて奥の火鉢をとり下す、とたんに富子が忍び寄つて足をさらつた。ひつくり返る胸の上に火鉢の灰が傾いて札束が見えたのが最後であつた。富子が灰をつかんで宿六の眼の中へ押しこんだ。チラと見た札束を最後にして、宿六の眼は暗闇の底へとざゝれてしまつた。
富子は着物をきかへる。宿六は七転八倒、途中に正気づいては大変と、もう一つの火鉢の灰を頭からぶちまけて、眼も鼻も口も一緒にグシャ/\灰を押しこんでやる。ゆつくり着物をきかへて、奥の二つの火鉢から十万ほどのヘソクリをとりだして、着物や手廻りの物と一緒に包みにした。
宿六はお勝手へ這ひ下りて、まさに水道をひねらうとしてゐる。出がけにもう一握りの灰を鼻の孔にぶつかけ、オカユのはいつた鍋を頭へグシャリとかぶせて、とびだした。
★
最上清人は店をしめて、ひねもす飲み暮してゐた。店では一週間用ぐらゐの酒類が、一人で飲むと却々飲みきれない。夜になると外へでゝ、千鳥足で戻つてきて、万年床へもぐりこむ。飲む金がなくなつたら、首をくゝつて死ぬつもりなのである。そのくせ一日に七八回胃の薬を飲み、胃袋を大切にしてゐる。
死を決して、思ひ当つた思想といふやうなものは、別にない。たゞひつくりかへる灰の下からチラと顔を見せたあの札束が残念だ。富子の奴はあの札束でどこで誰と何をしてゐやがるか、札束だけが残念でたまらない。セッカチはどうもいけない。ハハア、火鉢だなと、気がついたら、素知らぬ顔、長期戦で店の酒をのみ家から一歩も離れずねばつてやる。そのうち富子が便所ぐらゐは行く筈で、その時便所を釘ヅケにしてもよかつたのである。かう思ふと、残念でたまらない。
店のお客がきて戸を叩いたり、倉田がきて、最上先生、ゐないかね、と怒鳴つたこともあるが、知らぬ顔、戸締りをして、主要なところは釘づけにして、酒をのんだり、万年床にごろついてゐるのだ。
二ヶ月あまりで店の酒類も飲みほしたが、彼のヘソクリも終りを告げるところへ来てしまつた。然しまだ店を売るといふ最後の手段が残つてゐる。これより、この
前へ
次へ
全41ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング