ど又あつらへ向きに瀬戸と絹川が両端に、その中間に倉田がしたゝかきこし召してゐる。両端に色男が二人ゐるから、清人は富子に、おい、ドッチがドッチだ、あゝさうか、あつちが瀬戸さん、こつちが絹川さんか。彼は瀬戸のところへ歩いて行つた。
「君はもうこの店へ来ない方がよいよ。お金のある時だけ来たまへ。然し今までの借金は必ず払つて貰ふから。毎日誰かを取りにやります。お金のあるとき、ある分だけ必ず貰ふ。全部払ひ終るまで毎日誰か取りにやります。君はこの女から借りたんぢやなくて、僕が貰ふお金なんだ。その代りこの女を連れて行きたまへ。君のところへ行きたいさうだから」
「まアまア最上先生、お待ちなさい。色恋の話はもつと余韻を含めて言ふものだ。あなたみたいに、さう棒みたいに結論だけを言つたんぢや、話にならない」
倉田がかうとめ役にでたが
「いや、僕のは色恋の話ぢやないんだ。単純な金談だ。女のことは金談にからまる景品にすぎない」
「いや、金談でもよろしい。ともかく、談と称し話と称するものは、あなたも喋れば、こちらも喋る、両々相談ずるうちに序論より出発して結論に至るもので、いきなり棒をひつぱるみたいに話のシメククリだけで申渡すんぢや片手落だな。よろしい、ここはかうしよう。金談の方は、これはもう、借りた金は払ふべきものなんで、序論も結論もいらない当然な話だから、こちらの方は相当無理な稼ぎもして、闇屋もおやりの由《よし》承つてゐるから、よろしく稼いで、こゝはあなたの男の意地ですよ、女の問題がはさまつてるなら、金の方はサッパリしたところを見せなきや。それぢや、この話はこれで終つた。次に、最上先生、そこへいきなり附録みたいに女をつけたして言つちまふのは無理だなア。ともかく今拾つてきた女ぢやない、女房なんだから」
「女はみんな女さ。この女が出て行きたい、この人と一緒になると言ふんだ」
「さうは言つても、それが全部ぢやない。金談とは違ふです。男女の道に於ては、一つの問ひに答へる言葉が常に百通りもあるもんですよ。それぐれえのことは、私が言ふことぢやなくて、あなたの専売特許みてえなもんぢやないか。やつぱり事、女房となると、あなたのやうな大学者でも、子供みたいに駄々をこねるんだな。精神も物質です。これより我々は、私はでゝ行きます、といふ物質がちやうどまア石炭みたいに、胸の中のどういふ地層で外のどんな物質と一緒に雑居してゐるか取調べませう」
「心理をほじくれば矛盾不可決、迷路にきまつてるよ。心理から行動へつながる道はその迷路から出てきやしない。話はハッキリしてるんだ。君はこの女が好きか、連れて行きたいと思つたら連れて行け。それだけさ。女もそれを承知だし、僕も承知だ」
「最上先生、はじめてお目にかゝりますが、僕、瀬戸です。僕は十年ほど前、高等学校の時に先生の論文を愛読して、尊敬してゐたのです」
「そんなことを訊いてやしないよ。自分の言ふことも分らない奴に限つて、尊敬なんて言葉を使ひやがる」
「まアまア最上先生、さう問ひつめたつて所詮無理だよ。好きだなんて、あなた、好きとは何ですか。女が好きだなんて、あなた、好きにも色々とありますがね、連れて行つて同棲するほど好きだなんて、そんなものが、あなた、バカバカしい、この世に在りますか。女房を貰ふとか、亭主を貰ふとか、これ実に悲しむべき貧乏クヂぢやありませんか。だからこれはもう万人等しく諦めつゝあるところで、あなた方だつて、これぐれえのところは諦めなきや。これは色恋の問題ぢやアない、諦めの問題なんで、この人と奥さんと惚れたハレた、そんなことが問題ぢやアなくつて、女房といふものはこれはもう何をしても諦めなきやアならん。あらゆる女房には一人づゝ必ず諦めつゝある男があるもので、あらゆる亭主にも亦一人づゝ諦めつゝある女があるです。こんなことを俺に言はせるなんて、最上先生もひでえな。私はもうイヤだよ。よさうぢやありませんか。最上先生もよろしく浮気をなさい。浮気ですよ、あなた。この瀬戸君なんて人は何かね、美学なんてものをやると、恋愛だの私の彼女などと、そんなベラボーなことが言ひたくなるのかな」
「むろん僕は浮気だけさ。美人募集の広告をだしたのは、そのためだ」
「そんなことはムキになつて言ふものぢやアありませんよ。あなたも今日は子供みたいだなア」
「富子さん、何か言つて下さい。最上先生、誤解ですよ。僕は恋愛でも浮気でもないんです。たゞそこはかとなく一つの気分に親しんでゐるだけなんで、僕はつまり精神的にも一介の放浪者にすぎんですから」
「あなたは何も言はなくともいゝんだ。あなたのことは金談だけで、もう話が終つてゐる。借金だけは無理矢理苦面しても払ひなさい。さア、あなたはもう帰る時だ。すべて物にはその然るべき場所と時とがあるものだ。退場すべき時は退場する
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