、単に紙の山だけではない。今にやがて、あらゆる物の各々の山がズッシりとすべて彼の所有となつて残ることになるだらう。
彼はフンといふ軽蔑しきつた顔をして、クルリとふりむいて紙の山に訣別した。たかがこれしきの紙の一山! 考へることの一々があんまり豪放なもので、彼はてれて、クツクツ笑つた。そしてひとつ退屈さうに背延をして、裏口をあけて一人コツコツ街へ消える。マーケットでコーヒーのお酒をのんで、いつまでもクツクツと喜悦の笑ひが心持よくつゞいてゐる、まつたく、どうも、物質の充実、これは驚くべき充実だ。
彼はウットリした。
★
翌朝、仙花紙の山の谷間のやうなところでグッスリねむつてゐると、朝つぱらからヤケにドカ/\戸をたゝいて、はてはどうやら蹴とばしてゐる奴がゐる。
起き上つて、表へ廻つて戸をあけると、もう初秋だといふのに、まだヘルメットをかぶつて鼻ヒゲをたくはへたふとつた男がヌッと現れ、
「ヤア、コンチハ」
言ふと同時に土間につんだ仙花紙を見つけて、ヤヤと叫んで、ふりむいて、
「あゝ、ある、ある。やつぱり、こゝだぜ。みんな、こい」
見ると表にトラックが横づけにされ、大男が五人とび降りてきて、
「やあ、ある、ある。なるほど。これつぱかしぢやない筈だ。こゝかな。ヤッ、こゝにも在る。まだ、ある筈だな。こつちかな。や、あるぞ、あるぞ」
誰一人、てんで最上清人にペコリと挨拶はおろか、目をくれた奴もゐないのである。まるでもう倉庫を自由に歩き廻るやうに、勝手に奥へのりこんで戸をガラガラあけ、お勝手で水をのんでゐる奴、遠慮なく便所で小便たれる奴、乱暴狼藉、すると次には入りみだれて仙花紙をセッセとトラックへつみはじめるから、
「もしもし、あなた方は何者ですか」
「アア、さうさう、私たちはね」
ヘルメットの鼻ヒゲはポケットから役人の肩書の名刺をだして見せて、
「こんな風な者さ。なんしろ、君、あの野郎、木田市郎といふヤミスケ先生ね、あの野郎は君、とんでもないことをやりやがるよ。この紙は動かしちやいけない物なんだ。いづれはヤミスケ先生の手に渡る品物かも知れないけれども、目下は君、いと厳重に封印された倉庫の中の預り物ぢやよ。あの野郎め、スバシコイヨ、白昼これだけの品物を堂々と運びだしやがつたからな。私は君の方の話のことは知らないよ。それはいづれ木田の野郎をとッつかまへて、ダンパンしたまへ」
それから、ドタバタ、店中をひつかきまはして紙を全部つみこんで、ヤアとも言はず立ち去る気配だから、
「オットット、お待ち下さい。いつたい木田さんは警察にあげられてゐるのですか」
「別に警察にあげられやせんよ。なぜ?」
「なぜつて、ぢやア、あなた方、なぜ私の買つた紙を持ち去るのですか」
「だから君も、わけが分らない男だな。闇の紙をシコタマ買ひこむ狸のくせに、いゝ加減にしろ。さつきから言つてるぢやないか。この紙は売つたり買つたり出来ない性質の紙なんだ。あの野郎、人の目をチョロまかして持ちだしやがつて、だから君はあの野郎とダンパンすりやいゝんだ。どうせヤミスケの動かす紙は曰くづきにきまつてらアな。それぐらゐのこと、君も覚悟がなくちやア、だらしのない男ぢやないか」
叱りとばされ、目玉を白黒するまもなく、トラックは角をまがつて消えてしまふ。皆目わけが分らない。
するとその日の暮方になつて木田市郎がタクシーでのりつけて、
「どうも、あなた、すみません。実にどうも、とんでもない手落ちで。なに、あなた、あれでどこへ売つちまつたか売先が分らなきや、話はそれなりになつたんですよ。万事ヤミの品物はたいがいそんな物でして、あいにく、あなた、運転手に鼻薬がなかつたもんで、そこからバレちやつたのですよ。まつたく一代の失策です。いえ、必ず、紙は又、おとゞけします。いえ、紙ぐらゐ、どこにでも、何方連、山とありますから、そのうち、ちよいと、又、トラックで横づけに致しますから。それでは今日は急ぎますから、いづれ三日ほどあとに、いえ、お詫びにくるわけぢやありません、現物をつみこんで横づけに致しますから。どうも、本日は、すみません。では」
待たしておいた車で、風の如くに消え去つてしまつた。お金を返してくれといふヒマなどは全然ない。サギだか過失だか、見当をつける余地がないから、万感胸につまり、アレヨと見るまに取り残された自分の姿があるばかり。
「ラツワンだね、マスターは。紙の山がもう消えちやつたワヨ。気にかゝるワヨ、百四十四万円すると、マスター二百万ですか。アタクシは二十個のピースがまだ昨日から売れ残つてをりますんで、ヘエ」
「昼間は当分店をしめるからチンピラ共はどこかで遊んでゐろ」
パンパンやチンピラをしめだして鍵をかけて、たゞ一人、黙々とウヰスキーを飲んでゐる。三日
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