。ところが新日本の建設誕生といふ極めて新鮮健康なるべき第一節に、別に深遠な思想家でもない呑ン平どもの何割かゞ、彼と同じギリ/\のところへ否応なく追ひつめられてきた。芸のない同類どもがにわかにボーフラと一緒にわきだして裏通りの裏口をウロウロキョロキョロする、とたんに最上清人の方がこの同類から脱退したのは、即ち彼が礼服をきたメフィストフェレスになつたからで、メフィストフェレスといふものは、厭世家で、同時に巨万の財宝を地下に貯へてゐるものなのである。
 まさしく彼は資本家になつた。資本家といふものは単なる物質上のことではなくて、精神上の位置であり、つまりアクセクお金をもうけやうともしないのに、お金の方が自然にころがりこんでくる。酒さへ置けばお客の方がガツガツ食ひついてくる。ミミズをつけて糸をたれる、とたんに魚がくひつく、苦心も妙味もない、糸をたれゝば食ひつくだけで、たゞもう無限の同一運動の反復があるばかり、面白いよりもイマイマしいぐらゐ。然し、イマイマしいとか、ウンザリするとか、変に厭世的な気持が深まるやうで、内実はその満足が病みつきとなり、いつとなく思想が変つてゐるものだ。
 お店の趣向をこらすとか、美人女給募集の広告をだしたり、あれこれ手段をめぐらしてお客をひきよせる。それと違つて、何の技巧も施さず自然にお客がよつてくるのだから、たゞもう時代の寵児、単なる時代のイタヅラの私生児のやうなものでもあつた。何だい、毎日うるさいほど来やがるなどゝイマイマしがつてゐるうちに、フトコロがふくらむ、その満足の自覚の代りに大いに不安になつてきた。七・五禁止令といふものが解除になればそれまで、ナニ、そのときは首をくゝるさ、といふぐあいに一応は肚に思つても、もう本心はさうではなくて、この繁栄を失ひたくない慾に憑かれてゐた。
 彼はもうナマケ者ではなくなつてゐた。早朝から自転車で闇酒を買ひに走り廻る。ヨッチャン母娘に指図してビールを買ひに駈け廻らせる。自ら店へ出て餓鬼どもにアルコールを配給する。一向に楽しくない。たゞ、いつ客が来なくなるかといふ不安によつて充足してをり、ともかく充足してゐる証拠に、目がさめると自然にビヂネスの日課に応じて動きだす、もう帰つておくれ、警察の目をくゞつてゐる仕事だから、さういつまでもつきあへないから、などゝジャケンに餓鬼どもを追つ払ひ店の扉にカンヌキをかけて、一升ビンを掴みだして極めて事務的に寝酒をのみ、極めて事務的にヨッチャンをだく。それも亦ビヂネスであつた。即ち肉体のつながりによつて、女中ではなく、ウチの者であり、無給にコキ使ふことができ、行動を制限し、命令し、食べ物を制限することもできる。不満なら出て行け、と言ふ。一方がおのづから時代の英雄だから、一方はおのづから奴隷で、近代人の絶えて現実に知り得ない奴隷女といふ無人格な従属物を知るに至つた。それに対して血も涙も意識する必要がない物品といふ意味だ。
 すでに昼すぎる頃からコーヒーといふウヰスキーを飲む餓鬼、ソーダ水の酒を飲む餓鬼、これはもつぱら馬小屋からの落ち武者で、実は単に酒餓鬼の足軽にすぎない。夜になると、奥の茶の間で会社の饗応がある、ブローカーの商談がある、一組小は一万円から大は三万五万ぐらゐ遠慮なくチョウダイする。ウヰスキー一ビン四千円で飲ませるから闇会社の十人ちかい商談になると忽ち五万円ぐらゐになる。高すぎると思つても、二度と来てくれなくていゝよといふ顔付の威厳はテキメンで、時代の英雄、千鬼もおのづから足下に伏す有様である。二週間もたつと又ノコノコ性こりもなく現れて、徒に足下にひれふして引きさがる。苦笑、軽蔑、然しそれよりも虚無と退屈であつた。彼はまつたく不機嫌なメフィストフェレスであつたが、いくつ買つても忽ちふくらんでしまふ大きな財布をどこへ秘めるかといふ最も不機嫌な心労によつて、更にひねもす不快になるのであつた。
 あるとき、この界隈のパンパンの姐御がお客をつれて飲みにきた。それからといふもの、姐御の身内のチンピラ共が時々カモを酔はせに連れてきて、着物をねだつたり、お金をせびる。度重なるうちに、ホテルへしけこむのが面倒くさくなつて、
「ネエ、ちよいと、マスター。奥のお部屋、ショートタイム、百円で貸してよ」
「一枚ぐらゐの鼻紙で魔窟の代用品に使はれて堪るものか。すぐ裏にインチキホテルがあるぢやないか」
「ショートタイムぢや一々ホテルまで面倒よ。あいてる部屋がたゞお金になるんだもの、私たちのカラダだつてその要領だもの、それが時代といふもんだけど、このマスターも案外わからず屋なんだなア。カンサツなしで稼げるものは遠慮なく稼いでおくものよ。どうせあんたの商売はモグリの酒を売つてるんぢやありませんか。ヤミの女もヤミ商売もおんなじこつた。共同戦線をはらうよ」
「よし
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