しさが感じられないのだ。
 ヘプバーンのようなのッけからのあどけなさ無邪気さには安定感がない。いつくずれるか分らない危ッかしさがつきまとっている。それは少女歌劇のファンそのものにつきまとっている危ッかしさでもある。
 マリリン・モンローは大人に無邪気な安らぎを与えてくれる女性美で、そしてそこに性欲は感じられないのである。たとえ彼女自身の正体がどうあろうとも。

          ★

 私の家の裏に小学校がある。そこに特殊児童の特別教室がある。つまり知能が低くて学問のできない子供たちの教室だ。彼らには運動場はいらない。なぜならスポーツをする能力もないからだ。悪事をする能力もない。ただ無邪気で、かわいい。私はその教室へ散歩に行くのが好きだが、鏡子チャン事件以来、怪しまれそうで何となく小学校の門がくぐりづらいのは情ない。
 カタワの子ほどかわいいというが、その子らの親たちもかわいくて仕方がないらしく、みんなまるまるふとっているので、親の心も察せられて悲しいのである。
 この教室に飾られている彼らの絵は清クンと同じ流儀の絵である。他の画風を教えてみると他の描き方もするように思うがどうだろう
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