は完全にゴルフというオハジキである。しかし彼らは結構ゴルフをたのしんでいる。
「チェッ! ソケットしたか!」
とか
「チェッ! トップした!」
などとゴルファーらしい英語をしゃべることも心得ているが、タマをころがすのにソケットもトップもありゃしない。見物している方もとてもたのしいのである。工員ゴルフ大会というのも時々あるらしく彼らの練習は熱心である。
ここではキャデー(ゴルフの棒をかついでくれる少年)が一時間十円である。私がここの会員になったとき、世話役の人から
「子供にお金をよけいやって値段をつりあげないように」
と厳重な訓令をうけた。しかし私はお金をよけいやるどころか、なるべくキャデーを使わないことにしている。なぜなら棒は三、四本ですむのだし、子供たちは十円のアルバイトに情熱をいれていないから、タマの行方なぞ見ていない。彼らをあてにしているとタマが行方不明になる率が多いのだ。タマは五百円もするのだから、これほど割に合わないことはない。そのうえ
「夕刊配達の時間だよオー」
と母親が門の外から声をかけると、子供は棒を投げすてて走り去るので、ここでキャデーを使うのはむしろ悪趣味にすぎないのである。
工員ゴルフと別に、足利ゴルフ会というだんなの会もここにあって、だんなはだんなで時々ゴルフ大会をやる。中には正式のレッスンをうけた正しいゴルファーもいるけれども、大会にでてくる人々の多くはここでたたきあげただんなであるから、ものすごい。
「ワー、タマが上へあがったね」
とほめられているだんなもいる。もちろんゴルフのエチケットなぞここでは無意味なばかりか、スコアの勘定も無意味である。なんべんカラ振りしても、そんなのは勘定にいれないし、打った数も一コースにつき二つ三つごまかすのは商業上の道徳と同じように公然と行われているのである。だから田舎のだんなゴルフ大会にはでるものではない。腹が立つばかりである。しかし、大会にさえでなければ腹の立つこともなく、工員ゴルフもだんなゴルフも味わい豊かでよろしいものだ。私のゴルフはへたで有名な方であるが、ここでだけは
「さすがに習ったゴルフだね」
とほめられることが多い。
桐生における私のゴルフの相棒は書上左衛門という私の家主に当る人である。自宅の裏庭にインドアの練習場をつくって二十数年もゴルフ一つに凝りに凝っている人だ。私はこの
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