人の手ほどきでゴルフをはじめた。私の相棒としてはまことに好適で、世にこれほど風変りで裕然たるゴルファーはめったにいないと思われる。
この人はゴルフをはじめて二十数年、ああでもない、こうでもないと、フォームの研究だけに日夜心をこめている。したがって、ほぼ一週間ごとにフォームがガラリと一変する。いかほどプロについても独自の研究に怠ることがなさすぎるから、一週間ごとにガラリとフォームが一変することは変りがないのである。この人にとっては少ないスコアでコースをまわることは問題ではない。ただ最初の大振りでタマが遠くへとべばうれしいのである。
「ゴルフの快味はドライバーショットです」
と確信をもって断言し、制規のコースへ行っても、キャデーにタマをひろわせてドライバーショットだけ半日でも一日でもあきずにやっているのである。私がさそえば一緒にコースをまわりもするが他の人の多くに対しては
「あの人のゴルフはスコア屋だから」
ときらって一緒にまわりたがらない。つまり私のゴルフはスコア屋でないと彼が認めてくれたわけだ。したがって彼と私は力いっぱいクラブをふって、彼は左、私は右のヤブへ主としてタマをとばし、別れ別れにヤブからヤブを歩いてコースを一周する習慣だ。
先日読売の文壇ゴルフ大会で、主催者が小生をあわれんで宮本留吉大先生をつけて一緒に川奈コースをまわらせてくれた。
「そんなに力いっぱいふる人がありますか」
と私のスコア屋ならざる猛ゴルフは日本一の大先生にさんざんしかられたのである。実際においてスコア屋でないゴルフはありえないのだ。そこで心を入れかえて留さんに入門することになったのである。
新しい雪国の誕生
戦後今年になって秋と冬ちょっとの間をおいて二度新潟へ行った。冬の旅にでる前に、ある雑誌へ雪国の冬の暗さについて随筆を書いた。秋のなかばから冬の終るまで太陽を見ることのできない雪国では小学校の子供たちまであきらめきった考え方や話し方をするようになるものだと書いたのである。それを速達で送って旅行に出発したが車中で落ちあった同行の友人に
「この清水トンネルをこえたとたんにガラリと天候が一変しているのだよ。トンネルの向こう側にはもう太陽がないのだ。暗いたれこめた空、窓をたたくみぞれ、来る日も来る日も清水トンネルの向こう側は一冬中そうなんだよ。うそのように思えるけど、
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