すな押すなだよ。無料のテレビがあるからさ」
 ちまたの消息通だけあって、うまいことをいう。これは桐生に限らないだろう。日本人の多くの人々がせめて自宅の茶の間でテレビをたのしむ生活がしたいと考えているに相違ない。しかし思えば文明も進んだ。自宅に好むがままの芸人や競技士をよんで楽しむことができたのは王侯だけであったが、いまやスイッチをひねるだけで王侯の楽しみができる。天下の王侯も今ではたった二十万円かといいたいが、あいにく拙者もまだ王侯の域に達していないのである。
「数年のうちにすべての家庭にテレビを」
 と約束してくれるような大政治家が現われてくれないものかと思う。民衆の生活水準を高めることを政治家の最上の責務と感じる人の出現ほど日本に縁のなかったものはない。
 しかしフハイダラクの底をついた現代はかかる大政治家を生み育てる温床ともなりうる時代なのである。歴史がそう語っている。しかし日本だけはフハイダラクのしっ放しの感なきにしもあらずか。

     スコア屋でないゴルフ

 足利市に東京繊維という工場がある。その庭では野球やサッカーと一緒にゴルフもやれるようになっている。といったところで、もともと工場の庭にすぎないのだから、全部で高校の運動場ぐらいの広さしかない。そこへ百五十ヤードを筆頭に、百ヤード前後のコースを六つもつくっているのだ。それでもアプローチという近距離の打ち方やバンカーという障害物からの打つけいこはできるから、私も仲間にいれてもらった。この会費は月に二百円である。
 三時のポーが鳴ると工員たちが手に手にゴルフの棒を三本ないし一本握ってかけつける。三、四名ずつそれぞれの芝生をとりまいて、近距離打と芝生の穴へタマをころがしこむ練習をはじめる。全力でかっとばすには先生についてフォームを習う必要があるが、このコースではその必要がない。なまじ私などがかっとばすと障害に落ちる率が多いのだ。彼らははじめからころがす。どうころがしても次には近距離打になり、その方が障害に落すことも少ないのである。タマをころがすのや、近距離打や、芝生の穴へ落すのは自我流でできる。練習量だけで結構いけるものである。だから、このコースでやる限り、彼らのうまさはすばらしい。プロも勝てないのである。なぜならプロは障害へ落すが彼らは二度ころがして三度目にたいがい穴へ落すことができるからである。それ
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