が、被害者が百人だから店内がまた立入りの余地もない。つるし上げる者、ソロバンをはじく者、毛布にくるまって眠る者、炊きだしの者、ごったがえしている。その日も夜を徹してつるし上げた。つるし上げる方は交代で存分に眠っているが、つるし上げられる方は眠らせてもらえない。しかしデフレを活用するほどの人物だからよく応戦したようである。これこれの銀行へこれこれの名義でいくらいくら預金したと渋々白状に及んだのが、はじめのうちはみんなデタラメだったそうである。
「桐生一の悪党はこんな顔の男だ」
と時々ヤジ馬の中へ突きとばし往来でも尋問したが、S君にとっては何より寝せてもらえないのがこたえたらしい。そしてとうとう七、八百万がとこ隠匿財産を白状したが、翌朝病気だから医者へ行かせてくれと監視人につきそわれて外出、警察へ駆けこんで保護をもとめた。その後、この事件はつるし上げ側の行過ぎ、人権侵害という問題に発展した。
つるし上げはたしかに行過ぎだがここに私が一つ納得できないことがある。それは彼らが告訴をしない申合せをしなければならなかった同情すべき事実についてである。告訴すれば不渡手形発行の罪によって懲役一年たらずの罪人を製造するが、かたられた金は戻ってこないからである。S君は告訴されることを期待していた模様であった。そしてちょっと服役することによってまんまとデフレを活用しうる予算であったらしい。しかるにシシフンジンのつるし上げにかゝり七、八百万がとこ白状せざるを得なくなってしまった。もしも法律というものがS君の隠匿財産をあばいて被害者に返してやることができるなら人権侵害もあるだろうが、単に罪人をつくるだけで実利は罪人に属すというのでは、悪人栄え、正直者は泣き寝入りの一途ではないか。法律自身のぬけ道や不備や無力さをまず猛省すべきであろう。
私にこの事件の裏話をいろいろ語ってきかせた消息通は、突然言葉をかえて私にこんなことを言った。
「キミはこの町の人々がどんなことを望んでいるか知っているかね」
「知らないね」
「まず百人のうち九十人までは夕食後のひとときを自宅の茶の間でテレビをたのしむような生活がしたいと望んでいるのだよ。ところがテレビは二十万円もして手が出ないから、ビールかコーヒーをのんで喫茶店のテレビでまにあわせたいが、その金も不足がちだ。そこでテレビの時間になると子供遊園地が大人で押
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