してゐた。
トンパチ屋の常連は、近所の百姓と工場の労務者達であつたが、百姓の酔態といふものは僕の想像を絶してゐた。僕自身もさうであるが、東京のオデンヤの酔つ払ひといふものは、各々自分の職域に於て気焔をあげるものである。ところが、百姓達は、俺のうちの茄子は隣の茄子より立派だとか、俺は日本一のジャガ芋作りだとか、決して、かういふ自慢話はしないのである。自分の職域に関する気焔は一切あげない。さうして、酔つ払ふと、まづ腕をまくりあげ、近衛をよんでこい、とか、総理大臣は何をしとる、とか、俺を総理大臣にしてみろ、とか、大概言ふことが極つてゐる、忽ち三人ぐらゐ総理大臣が出来上つて、各々当るべからざる気焔をあげ、政策が衝突して立廻りに及んだり、和睦して協力内閣が出来上つたり、とにかくトンパチ屋といふものは議会の食堂みたいなものだ。
浅間山中の奈良原といふ鉱泉に一夏暮らして毎日村の(といつても十五軒しか家がない)人達とコップ酒を飲んでゐた時にも、やつぱりかういふ気焔をあげる人達であつた。中に一人、一向に野良へ出ない親爺があつた。この親爺は野良へ出る代りに毎日昆虫網を担いで山中をさまよつてゐる。烏アゲ
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