す」
「ランニングも息切れはするだろう」
彼は唇をかんで、また大粒の涙を落した。そんな会見の結果、退部問題はウヤムヤのままになっていた。
そんなワケだから、彼は五人の学生をそれ以上追うことができなくなったばかりでなく、その地点まで思わず走り寄ったことに羞恥を感じて、とめどなく混乱してしまったのである。地獄の裁判長のような緒方の目を感じた。
山林の小径を通りかかった農夫の与作が様子を怪しんで近づいた。娘はようやく前を合せて立ち上っていた。
与作を見ると、娘は光也を睨みつけて、叫んだ。
「この男とその友達がオレをこんなにした……」
与作は珍しそうに女と男を見くらべた。そして、ほかに適切な言葉もなかったらしく、
「オレも変な気持になった」
と呟いて、戻って行った。そこで光也も歩きだした。山林を歩きまわって、落附きのない時間をすごしたのである。
彼がわが家へ戻ると、娘の母親が、娘の手をひきずって、彼の母親にねじこんでいる最中であった。彼の父は不在であった。
娘も、その母親も、知らない顔ではない。姓も名も知りあっていた。小さな村に知らない同志は住んでいない。娘はまだしどけない様子のままだった。
「娘を元にして返せ。オレは金なんか取る気持はないぞ。娘を元にして返すか、さもなくば詫び証文を差出して娘をヨメに入れて一生大事にするか、さアどッちだ」
娘の母親は光也を認めると、また叫んだ。
「ホラ、来たぞ。この悪党。そこの土の上へ坐れ。テンビン棒で百ぶんなぐってやる」
光也は落付きを取り戻せば長い時間をかけて自分の考えを割合にシッカリと述べられるタチであった。もっとも、説明の仕方はうまくはなかった。
娘に暴行を加えたのは五人の学生で、自分はそれを認めて駈け寄ったものだと説明した。その証拠に、五人の学生は逃げ散っている。それは彼らが自分の姿を認めたからで、さもなければ、彼らが逃げ去ることは起り得ないと解釈をつけ加えた。
ところが娘が突然叫んだ。
「ウソだア! みんなが逃げたのは与作が来てくれたからだ。そして、お前だけが逃げそこなったのだ」
「それみろ」
娘の母親は彼の胸ぐらをつかんだ。
「往生際の悪い奴だ。さア、白状しろ。誰と誰がいたか」
そこで光也はつまってしまった。一たびつまってしまうと、もう落付きを取りもどすことはなかなかできなくなる。
あとの四人は分らないが、見張りの鶴には顔に見覚えがあった。隣村の高校生だ。
けれども、それを云うと巡査の行為をしたことになってしまうという不安が彼を捉えてしまった。彼の全身からまた冷汗があふれだしていた。
「逃げた五人を探して下さい。そうすれば、みんな分ります」
彼は一生懸命にそれをくりかえした。
「よーし。片ッぱしからフン縛って、キサマも当分懲役だ」
呪いの言葉をのこして、母と娘は立ち去った。
この話はたちまち村中にひろまった。その結果、逃げた五人連れの学生を見たというものが現れ、どこの誰それがその一人だったというようなことから、五人の真犯人はつかまった。しかし、それまでには半月ほどの時日を要したので、光也はその期間受難の生活をしなければならなかった。
★
この山中に昔から里人の信仰あつい神社がある。今は県社であるが、大昔の神名帳では大社になっているそうで、この辺の豪族だった国ツ神を祭ったものではないかと考えられている。
光也の家は代々その神官であるが、実は祭神の子孫であるとも伝えられている。もっとも、確実な史料があってのことではなく、彼の家に伝わる系図というものも、その必要があって百年前ぐらいに製造したらしい怪しいシロモノであった。
神様の子孫とは云いながら、特に里人の尊敬を受けているわけでもなく、彼の一族が晴がましい思いをするのは、年に一度のお祭の時だけだ。
この山中では常時オサイ銭があがるということはなく、神社で生活はできなかった。終戦後の現象ではなく、ずッとそうだった。したがって、彼の家の本当の職業は農である。それも中農と小農の中間ぐらい、むしろ小農に近いぐらいの農であった。それと神社の収入を合せて、どうやら子供を大学までやることができたのだ。
だから光也が学校で学んでいるのは、神社に縁のある学問ではなく、農科であった。今のところ、彼の家のものか、神社のものか、村のものか、ハッキリしない山林があって、その一部はどうやら彼の家の財産に分けてもらえそうになっている。将来その山林に光也の新しい農業知識を役立てようというわけだ。
彼の父はふだんはただの百姓だが、さすがに事があると神様の遠縁らしい威風を示す習性をもっていた。倅《せがれ》の暴行事件が起ったときには、年に一度のお祭にも見せたことのない高揚した威厳を示した。
「お前はきっと犯
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